2021年映画ベストテン&ワースト3
ところが、結局年末になってみれば、そんなシンエヴァよりも好きと思える作品が4本もあったわけです。こういった現象は、個人的ではあるにせよ、毎年なるべく多くの映画を観ようとする理由ですし、同時に、ベスト10を作ることの豊かさだと思います。
また、ベストの10本に共通するテーマは「新しいことをやっている」かもしれません。
10位『パーム・スプリングス』(2020年/マックス・バーバコウ)
『恋はデジャ・ヴ』の現代的なアップデートであり、ロマンティックコメディの秀作。タイムリープが繰り返されることによる「虚無」へ打ち勝つための喜怒哀楽とアツい努力が描かれていて、ちゃんと新しいし清々しい。
タイムリープから脱出するために行われる、"タイムリープ機能を利用した実践的脱出方法"にはサムズアップ。低予算のインディーズ映画ですが、アイディアと俳優の力でぐいぐい引っ張る見事な出来です。
途中に挿入される「恐竜を幻視する」シーンは、フィクションやナラティヴの力強さを補強する素晴らしいシーンでした。
9位『マトリックス レザレクションズ』(2021/ラナ・ウォシャウスキー)
1作目を当時劇場で初めて観た観客の感情を再現したような、あの前半のメタ構造による不安感と高揚感が素晴らしい。そして、ラナ・ウォシャウスキーという作家のアイデンティティーに寄り添う「女性の映画」になっていたことに胸を打たれました。かつて、望まない性別である自分が撮った映画を、よりその本質に接近する形で解体して、生まれ変わった今の自分がアップデートする、というのは、端的に言って映画史上でも他に類を見ず、興味深く評価することも出来るはずです。
トリニティーが旦那に愛想笑いをしてしまったというエピソードには胸を締め付けられました。一体我々は、自分を嘲笑う者たちと共に、どれだけ自分自身を笑ってしまったことでしょう。こういった印象深い挿話を、バランス良く配置できるラナ・ウォシャウスキーはやはり流石です。ネオの、攻撃ではなく防御に徹したアクションも、アクションそれ自体によってテーマを物語っており素晴らしいと思いました。アクションがバカカッコいい映画から、引き画の美しさを追求したフィルムになっていたのは、そういった意味で予想を超えましたし、今、作られる意義を感じました。
大事な余談ですが、「トリニティーを破壊しろ!」と命令されたイカロボットちゃんたちが、全速力でトリニティーの元へ駆け付けるのですが、「あれ?! いない!?」と慌てふためいてキョロキョロするシーンが、本当に可愛くて、ほっこりしました。
8位『彼女が好きなものは』(2021/草野翔吾)
『ノー・ウェイ・ホーム』は、今年一番の「最大瞬間風速」を叩き出した作品です。正直、ぼくにとってはそれ以上でも以下でもありません。ただ、映画を観ていてこんなに何回も脊髄反射的に泣かされたのは、今年はコレが一番でした。
もしかすると、『フォースの覚醒』や『ローグワン』に近い感覚なのかもしれませんし、キャラクターを「作り手の勝手な意志によって」再び物語に呼び戻す、ということへの違和感は強い方なのですが、コレは参りました。お見事。
加えて、ジョン・ワッツ監督は交通整理力があり、本当に上手い作家だと思います。ドクターストレンジが絡むので、騙し絵的トリップ映像がわんさか出てくるのも、個人的にはイェーイ!でした。
6位『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(2021/吉川知宏)
正直、シンエヴァよりも「面白い」と思います。とにかく、シンエヴァの「ゴルゴダオブジェクト」のシークエンスは短いけれど、スタァライトは尺の半分以上でゴルゴダオブジェクトを披露してみせるという、ちょっと常識的には考えられない新しさがあります。
ぼくは『マルホランド・ドライブ』や『TAKESHI'S』や『風立ちぬ』や『8 1/2』などの、心理描写や主観を客観として具現化して描いてみせる映画が大好きなのですが、スタァライトの面白さもそういった種類のものです。だから実は『Air/まごころを、君に』に大変近く、尚且つ、こちらは鬱バージョンではなく躁バージョンで、どっちが優れてるとかではなく、どっちも好きです。
おっかなびっくりするくらい状況説明が無いのですが、それこそが観客の能動性を仰いでいて素晴らしいです。TVシリーズを観る必要ありません。まずはこの一度きりの驚きを体験していただけると嬉しく思います。
3位『最後の決闘裁判』(2021/リドリー・スコット)
MeTooムーブメントで株を落としかけたベン・アフレックとマット・デイモンによる共作脚本は彼らの懺悔のようでもあり、そこにニコール・ホロフセナーを加えたことによって、間違いなくスクリプトの格上げに成功しているのもサムズアップ!
2位『ザ・スーサイド・スクワッド』(2021/ジェームズ・ガン)
金の掛かったトロマ映画。超最高。こんな映画、もう二度と作られない。
優生思想に対するあまりにもきらきらと光り輝くアンチテーゼ&アゲインスト。この世に、無意味な人間なんていない、それはどんなクソッタレもだ!ちゃんと怪獣映画をやるところも、ウルトラマンをやるところも好き。ハーレイがバトる時にメリーポピンズよろしく鳥ちゃんが飛んできたり、ぶわーっと花びらが舞ったりするシーンも白眉。彼女は狂っているが故に、彼女の目からはああいった景色が見えているという美しさは、これまでのハーレイの実写化作品で、最も彼女のキャラクター性と映画的な美学を連結させることができている描写だった。そしてクライマックスでハーレイが見る景色、今までのどんな映画でも観たことがない優しい景色で、その美しさに感涙しました。
あとはポルカドットマン!アイツ最高!大好き!「俺はヒーローだ!」泣くわあんなの。『ダンボ』が好きなので。いや、あんなん最高だよ。デヴィッド・ダストマルチャンの実人生も知ってると、余計に泣けちゃうよ。最高かよ。なんかサイコーしか言ってないな、俺……。
ディズニーにクビ切られたジェームズ・ガンが大反省しながらも、笑うしかないレベルまでやりたい放題大暴れしていて、特にクライマックスはネズミー・ミッキーへの当て付けですよね。いいぞ、もっとやれ!!!
1位『マリグナント 凶暴な悪夢』(2021/ジェームズ・ワン)
3位から上は、はっきり言って全部1位級に好きな作品です。だから、ぜんぶ1位です。『最後の決闘裁判』も『ザ・スーサイド・スクワッド』も『マリグナント』も、ああ、自分は「映画」を観ているな、こういう作品と出会うために映画館に来てるな、と、ニコニコ、ぽかぽかしました。とは言え、やっぱり『マリグナント』よ。超絶最高大傑作。何もかもが素晴らしくてうっとりです。とにかく徹頭徹尾、展開が上手いのはもちろんのこと、ナラティブとして偉すぎるのです。
特にデパルマのファンなので、あそことあそことあそことあそこも感涙しました。
『狼の死刑宣告』においてスゴすぎ駐車場アクションシーンを撮ったジェームズ・ワンらしく、途中大アクションチェイスになったりするのも本当に偉かった。
カーテンが揺れてるのも偉かった。アルジェントの『サスペリア』だけじゃなく『オペラ座』もオマージュしてて偉かった。『死霊のはらわた』みたいに天井から部屋を撮ったのも偉かった。突然、女囚映画みたいになるのも偉かった。妹が姉のために頑張る映画として、アナ雪よりも俺は好きだった。
本件のトリガーとなる出来事が、男性の暴力であって、それがマリグナント(生命を授かること)とも密接に関わることが現代の映画としてもヤバイ。上手い……。
10位 パームスプリングス
9位 マトリックス レザレクションズ
8位 彼女が好きなものは
7位 スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム
6位 劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト
5位 シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇
4位 フリー・ガイ
3位 最後の決闘裁判
2位 ザ・スーサイド・スクワッド
1位 マリグナント 凶暴な悪夢
【ワースト3】
1位 JUNK HEAD
2位 えんとつ町のプペル(去年の映画ですが、今年の1本目として観ました)
3位 隔たる世界の2人
去年、『バイバイ、ヴァンプ』を観て以来、もうハズレと分かっているような凡作をわざわざ当たり屋的に観に行くのはやめにしようと決意しましたので、今年はワースト級に嫌悪感を抱く作品を、幸いなことにあまり観ておりません。
とか言いつつ、『えんとつ町のプペル』を年明け早々に観て、『海獣の子供』の制作会社ですから、「意外に良かったりするんじゃないのぉ?!」と割と期待もあったのですが、始まって早々に感情は打ち砕かれ、映画館という牢獄の中で、あまりの悲惨さにお金と時間の大切さを悟りました。
「あきらめるな!」とか「夢は素晴らしい!」とか「上を向いて歩こう!」とか「人を笑うな!」とか、そういった文言は道徳の教科書かブログに書いてもらえれば結構です。子供たちへの教育的な悪影響も感じられ、やはり俗悪と感じざるを得ません。
めちゃめちゃ泣いている観客もいらっしゃって、なんだか道徳的な同調圧力を感じる作風も、場内で俺以外が泣いている様子も含めて、去年の『アルプススタンドのはしの方』と同じ欺瞞を受け取りました。
3位の『隔たる世界の2人』はNetflixオリジナルの短編でアカデミー賞も短編部門で受賞した作品です。タイムリープとブラックライブズマターを掛け合わせたのは発明ですし、素晴らしい着眼点でした。しかし、発明ではあるけど発見はありません。ソーシャルメディアやニュース番組で見聞きしてきたメッセージ以上の「ことば」は無いのです。
だからこれでは映画を利用したプロパガンダになっちゃうし、最後の被害者たちの実名の羅列はあまりにも下品でした。欺瞞だと言いたいのではなく、あの演出には余韻を消し去る作用があって、観客を信頼してないのが良くありません。これぐらい言わないと分からないだろ、考えないだろ、食らわないだろ、という作り手の過剰な接待と言語感覚が、自ら感想を単一化していて本当によくないです。
映画はシュプレヒコールのためのプラカードでもスローガンでもないです。本来は、観客の心にそれぞれ"発見"させないとならないはずじゃないですか、そういう気持ちや考え方って。メッセージが先行している、メッセージのために作られた映画は、ぼくはあまり好きではありません。
独創性に欠ける、とまでは言わないが、端的に言って音が全くダメで、音が一音も楽しくない。音よりも画面に精神が注がれるのは、自主映画が最も陥りやすい罠です。劇場でこんな音流すなよ。『スター・ウォーズ』原理主義ではありませんが、SFの音ってセンスオブワンダーなんだよ、どれだけ重要か知ってるか。
粘土遊びも大概にしてください。そして、「もう粘土で遊ぶのやめろよ」と肩をポンと叩く、優秀なプロデューサーと出逢えることを切に祈ります。
ちなみに、ワーストとは言いませんけれど、『ラストナイト・イン・ソーホー』の出来には未だにモヤモヤしています。前半は超面白い。上京映画として、大学進学時の痛みや苦しさ、それでも明るい未来を目指す高揚感に、田舎から上京した者ですから大変共感を覚えました。
結局のところ、この映画の魅力はサンディなのですが、この映画を錯綜させたのもサンディだと思います。そうであるならば、エドガー・ライトは、シスターフッド、あるいはニアイコール・シスターフッドを撮る必要なんて無かったし、やっぱりブロマンスの手癖を自ら否定出来ていない辺り、覚悟が足りません。どんでん返し以降の結末も、フィクションで何でも救えると思うなよ、なんならフィクションでお前ら救われたと思うなよ、というナラティブへの抵抗をやってのけていて、これはこれでぼくは好きなのですが、でも結局エドガー・ライトは「フィクションは素晴らしくて崇高なものだ」という信仰から離脱できていません。離脱できていないのに、信じ切っていないことを同時代的な新しいクリシェとしてやろうとしているのが、お前さん、分かっておらんなあと感じた次第です。アニャさんもトーマシン・マッケンジーも魅力的ですが、それは彼女たちの存在自体が元々魅力的なだけであって、全く彼女たちを美しく撮ろうとしていません。セットに灯されるマリオ・バーヴァな照明は素晴らしかったですが、彼女たちに当てられる照明は全然なってない。
エドガー・ライトによる演出が全然感じられず、ただただ抑制されていない女優たちが、「意外性」のためにおっかなびっくりする「装置」として「配置」されているだけの作品……やっぱりエドガー・ライトは男の映画しか撮れないのだろうか……。
と、長々と想いを馳せれるくらいには、やっぱり面白くも観たし、ワーストとは言い難いです。