20世紀ゲネラールプローベ

電影永年私財法を発布するべくゲネプロ中の備忘録。

こんな俺に恋をさせてくれて『ダーク・シャドウ』

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ダーク・シャドウ』のポスター・ヴィジュアルを初めて拝見した際に、ぼくの心は喜びに満ち溢れており(『バットマン・リターンズ』以来のミシェル・ファイファー出演!)、これはもしかしたら、久々に心置きなく「ティム・バートン映画」が観られるのではないかしらと、期待に胸を膨らませていた。

バートンが監督なんだからそりゃそうだろうがバーロウ、と文句を垂らされる前に注釈すると、ここで記した「ティム・バートン映画」とは、「ティム・バートンらしさが感じられるティム・バートン監督作品」を指す。

例えばそれは『ビートルジュース』における支離滅裂なブラック・ユーモアであったり、『バットマン・リターンズ』におけるマイノリティへの悲哀に満ちた愛情であったり。と言うより、アリス・イン・ワンダーランド』みたいな間違った健全性を発揮されては困るのだと思っていた。で、『ダーク・シャドウ』は久々にバートンらしい案件なのではと予感していたのだ。

ゼロ年代ティム・バートンは、『ビッグ・フィッシュ』と『チャーリーとチョコレート工場』を通して「父親との和解」を描いてきた。バートンにとって「父親との和解」は、幼少期のトラウマからの脱却として、いつかは乗り越えなくてはならない題材だったからだ。
彼のフィルモグラフィを熟知している追っかけからすれば、そのテーマと対峙し、見事に成功してみせたこの試みに、まずは賞賛の拍手を送った。とは言え、バートン・アディクトなぼくは両作品とも楽しく鑑賞出来たけれど、精神的には決して満腹感を得てはおらず、俺の見たいバートン映画はコレじゃないんだよと、どこか消化不良な感情も隠し切れなかった。

だからこそ、『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』でのバートン節の復活には切実に感嘆したのを憶えている。
コチラも、ジョニデが白塗り顔面蒼白メイクで喉を掻っ切りまくる大人の悲哀に満ちた傑作で、バートン×白塗りに間違いなし!と暴論を提示しようと思ったけれど、個人的に『アリス・イン・ワンダーランド』はその定義に当てはまらないので、この暴論は今滅却しました。

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さて、結論、『ダーク・シャドウ』は紛れも無い「ティム・バートン映画」の傑作といえる。ぼくはこの映画が愛おしくて仕方ない。

ポスターで顔面白塗りのキャスト陣が、劇中においてもちゃんと顔色が悪いこと、そして顔面蒼白な人しか登場しない(顔色の良い人は大体殺される)という、それだけで大いに素晴らしい映画でもある。

カリガリ博士』とか『吸血鬼ノスフェラトゥ』とか、20世紀初頭のドイツ表現主義の匂いがプンプンしているメイクや美術も素晴らしい。

200年ぶりに蘇ったら元カノにボコボコにされる吸血鬼バーナバス・コリンズを演じたジョニー・デップの演技が、いつもの如くコテコテな自意識過剰とは言え、今回ばかりは役柄とのケミストリーが良く、特殊メイクで6センチ伸びた長い指で催眠術を施す姿が実に華麗だった(ちなみに、この長い指はバートンのオリジナルアイデアで、撮影前のジョニデは「指なんて伸ばしたら色々と不便だからぜってーイヤ!」と反対していたらしい)。

あと、棺から起き上がってあくびをした吸血鬼は恐らくバーナバスが映画史上初なので、これも可愛い発明だと思った。

ひとえに、ジョニデを暴れさせ過ぎずに抑制出来ているのも、20年来の付き合いとなるバートンとジョニデコンビの絆が成せる業だろう。

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事ここに於いて特筆すべきは、魔女アンジェリークを演じたエヴァ・グリーンの熱演に他ならない。とにかくエヴァ・グリーンがすんばらしい。エヴァ・グリーン最高傑作

言ってしまえば、ぼくは『ダーク・シャドウ』が、バートンが悪意を込めて描き上げる魔女アンジェリーク主演のドス黒逆恨みリベンジムービーだと確信している。

なぜなら、劇中の彼女はバットマン・リターンズ』のペンギンと全く同じ台詞を口にする。

「BURN BABY BURN!」

エヴァ・グリーンという女優は、こんなにも喜怒哀楽の表現が素晴らしい俳優だったのかと感動した。ニタリとした愛想笑いから、瞬時に冷徹な表情にシフト・チェンジが出来たり、バーナバスを見つめる失恋を覚悟したかのような悲哀の目つきがあまりにも切ない。

やはり印象的なのは彼女のラスト・カット。

あんな顔されちゃあ、ねえ……と男なら誰しも許すところを、本作のバートンはキッパリと言い切る。

「ぜってー許さねえ!!!」

ひえー!ウソでしょ?これ本当にティム・バートンの映画かよ!

そこで提示される残酷なまでの回答こそ、バートンが完全に「大人」になってしまっていることを示唆しており、ファンにとっては嬉しい悲鳴。

ダーク・シャドウ』は「愛されない者の愛」を絶望的に押し付ける、「大人」になったバートンからの、素晴らしく愛おしい仕返しなのだ。

そう。もうここには、自分を愛してくれない世界への復讐をしていた『バットマン・リターンズ』のペンギン=ティム・バートンはいない。
冒頭に前述した『ビッグ・フィッシュ』、『チャーリーとチョコレート工場』を経て成長した彼が、『ダーク・シャドウ』で「家族」という題材を描くのは宿命的な行為だったはずだ。
しかし、本作は何よりも、「父親」とか「家族」とかを否定していた、かつての自分自身への愛憎入り混じった仕返しなのではないだろうか。

もしかすると、愛を求め、愛を憎み、愛されることのなかったアンジェリークは、バートン自身のことだったのかもしれない。

 

ところで、本作にはもう一つの見方があると思っている。

アンジェリーク初見時、「誰かに似ている気がする……」とモヤモヤしていたのだけれど、中盤の舞踏会のシーン(T-REXが流れた直後にアリス・クーパー登場、というやるせないステージ)で、アンジェリークがコリンズ家に現れた際、全身に電撃がビビッと走った。
彼女が身を包んだ真っ赤なドレスデザイン、やたらと強調される巨大な乳房からし『マーズ・アタック!』の女火星人を演じたリサ・マリーを思い出さずにはいられなかった。

ダーク・シャドウ』のアンジェリークは全編を通して、明らかにリサ・マリーを彷彿とさせる風貌が成されている。
リサ・マリー、何を隠そう、バートンの元恋人である。
ようやく、そこで全てが繋がる。
そうか、これはリサ・マリーへのリベンジムービーだったのか!

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ともすると、バートンが自身のフィルモグラフィで初めてセックス・シーンを描いたのも、彼女との情事に関する露悪的な描写なのか、はたまたセックスは最高だったけれど結果的には最悪でしたという自虐ネタなのか、どちらにせよ、アンジェリーク=リサ・マリー」として解釈してみると、非常に面白く鑑賞出来る。

仮にも二人が付き合い続けていたとしたら、このアンジェリークの役にリサ・マリーをキャスティングしていたかもしれない。あるいは、『アリス・イン・ワンダーランド』でアン・ハサウェイが演じた白の女王も、リサが演じていたかもしれない。恋の終わりに、ifは尽きない。


二人の出逢いは91年のクラブだったらしい。どうせバートンが「俺、ゴジラが大好きでさ~でもこんな怪獣オタク、誰も好きになってくれないからさ~」なんて酔い潰れてつぶやいたら、おっぱいを揺らしたリサたんに「ウチもゴジラ超好きー!」と言われてノックダウンしてしまったのだろう(※妄想)。
ルックス、性格、話し方、趣味嗜好など、まさにTHE童貞なパーソナリティを持ったバートンが、巨乳でゴスな美人モデルにイチコロされちゃうのは分からなくもありません(情けない文章)。

その後、リサ・マリーはバートン作品のミューズとして次々と彼の作品に出演するけれど、約10年間の交際を経て破局となる。
実際、破局後にリサ・マリーはバートンに対して、今後の人生を金銭的にサポート出来るだけの多額な補償金を請求している。
恐らくこの経験が、バートンにとってはかなりの辛い経験だっと推測される。

 

そして、そんな彼女へバートンからのリベンジが、あのアンジェリークに放ったバーナバスの言葉なのではないか。

「お前は誰からも愛されないし、誰かを愛することも出来ない!!!」

バートンが自身の作品で、愛されない者を真正面から全否定してみせたの初めてだ。

それでも、バートンが完全にアンジェリーク=リサ・マリーに憎悪を抱いているのではない証拠が、「心臓」のシーンだといえる。
いくら大人へと成長したとは言えど、やはり愛されない者への優しさの視線を忘れていないのがティム・バートンだ。
結局、受け取らないという残酷さ。いや、受け取らなかったことが優しさなのか。
実にオトナな余韻を残す、ティム・バートンらしい名シーンだと感じた。

ダーク・シャドウ』はリサ・マリーへのリベンジ・ムービーでもあり、同時に、そんな彼女に対して「それでも、ただの映画オタクだった、ただの童貞だった、こんな俺に恋をさせてくれてありがとう」とお礼を言っているような映画のように感じられてならない。

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さて、『ダーク・シャドウ』を今語ることの意義は、ティム・バートンとヘレナ・ボナム=カーターが破局した時代だからこそ存在していると考えている。

2014年初めには既に破局状態にあったこのカップルは、約13年の関係に終止符を打つことになった。今現在、ヘレナとタッグを組んだ監督作品は本作が最後となっている。

2012年当時、『ダーク・シャドウ』を劇場で鑑賞したぼくは、最愛の今カノの顔で幕を引くこの傑作に心酔してしまい、完全に童貞クンから卒業したオトナなバートンからのサプライズに歓喜したのをよく憶えている。
今となっては、その今カノも「元カノ」と化してしまい、この作品がバートンにとって、より悲哀に満ちたフィルムになっていることは間違いない。

しっかし女が怖いのは、そういうことを言っても一ミリも微動だにせず、むしろリサ・マリーの方がバートンへ「るせぇ!ヘレナとなんか別れちまえ!」と、まるで呪いでもかけたかのように怨念が伝わって、そしてそれが現実と化してしまったことだろう。

まるで魔女の呪いみたいに。

そして今、この映画を観て新たに思うことは、あのラストカットの恐ろしさ。
目をカッ開いてキャメラを凝視するその表情は、まるでこんなことを訴えていたのかもしれない。
「あんた、アタシを映画の中で何回殺したら気が済むワケ? 許さん!!!」


かつて恋人だったナンシー・アレンを映画内でぶっ殺しまくっていたブライアン・デ・パルマにこの映画を捧げます。

 

追伸1
リサ・マリーの最近の出演作が、ロブ・ゾンビ魔女狩りムービー『ロード・オブ・セイラム』というのも、魔女つながりとして何か意味深です。

追伸2
アリス・クーパーはいらなかったよね(ああ、言ってしまった・笑)