20世紀ゲネラールプローベ

電影永年私財法を発布するべくゲネプロ中の備忘録。

『ハリー・ポッター』シリーズ全作鑑賞備忘録

f:id:IllmaticXanadu:20201208095534j:imageハリー・ポッターと賢者の石』(2001/クリス・コロンバス)

19年ぶりに観た。確かに当時、劇場でワクワクしながら家族で観たことのノスタルジー補完はあるものの、もうずっと設定が楽しいから飽きないね。あと美術が総じて素晴らしい。

クリス・コロンバスって監督として全然好きじゃないし(だからキュアロン版ハリポタの『アズカバンの囚人』が一番好きだし)、今観るとヌルいなーって描写が多かったりもするのだけど、こういう映画、こういうジュブナイル映画の存在の大切さはひしひしと感じる。小学生の頃にハリポタ観られて心底良かったよ。こういう映画、もっと必要だよ。子供のための映画が。

ハリーが魔法でダドリーをヘビのブースに閉じ込めちゃってニヤニヤ笑ってるの、よく考えると怖いな。え、どうしよう、大丈夫?とかじゃなくて、ザマァーってニヤニヤ笑うの、怖くない?このシリーズはずっとそう。悪いことをした誰かが酷い目に遭うとめっちゃ笑う。イギリス的なユーモアがずっと流れている。

ロンがずっと愛おしいな。個人的にこういうお調子者の臆病キャラが好きすぎるし、そいつが得意な分野(本作ではチェス)で最後活躍するの熱い。ずっと面白い顔しかしていない。

ハグリッド終始口滑り過ぎ。ダンブルドア校長グリフィンドール優遇し過ぎ。マクゴナガル先生クィディッチ好き過ぎ。しかし『死の秘宝PART2』観た後だと、クィディッチの試合で必死に呪文唱えるセブルスに泣くな……。

f:id:IllmaticXanadu:20201208105531j:image↑ハリーが目が合って傷が痛んでいたのは、スネイプ先生ではなく……

f:id:IllmaticXanadu:20201208095721j:imageハリー・ポッターと秘密の部屋』(2002/クリス・コロンバス)

18年ぶりに観た。バジリスク、嗚呼バジリスクバジリスク。とにかくヘビちゃんのインパクトが大きくて、鑑賞当時の「うわあ!でっかいヘビだ!」という怪獣要素の印象のおかげでほとんど忘れてた。でも見返したらほとんど憶えてもいた。自傷妖精ドビー、ギルデロイ・ロックハート先生、空飛ぶ車、吼えメール、マンドラゴラ、パーセルタング、ポリジュース薬、嘆きのマートル、アラゴグ、リドルの日記、そしてバジリスク……不死鳥のフォークスの「涙」は、実は『死の秘宝PART2』の爆泣きエピソードへと「涙」で繋がる。

シリーズの中でも最もミステリー要素が強く、前半で散りばめられた伏線が段階的に回収されていくのが気持ちいい。しかもリドルの日記は後のシリーズでも重要な要素になるしね。

前作との差別化を図って若干暗い演出が多いのだけど、ギョッとするのは血文字の前に吊るされた石化した猫くらいで、やっぱり初の死人が出る『炎のゴブレット』ほどの絶望感は無い(クリス・コロンバスの演出が甘っちょろいので次作『アズカバンの囚人』でブラッシュアップされたけど)。ましてや、ロンが前作以上にコメディリリーフとして「あわわ〜」「うそだろお〜」と表情豊かにオモシロを担当しているので、案外切迫感が薄い。加えて、シェイクスピア俳優(?)のケネス・ブラナーをゲストに呼んで、彼にとことん軽ーいペテン師を演じさせている。

しかし、これは欠点ではなく美点だと思う。ミステリー要素強め、生徒たちが石化、ジニー誘拐、スリザリン後継者が現るな暗い内容に、矢継ぎ早に投入されるコメディ要素は謎解きから観客を離さない。この辺の陰陽のバランスが、暗いけど楽しい、楽しいけど暗い、暗過ぎず明る過ぎずという本作の雰囲気を形成していると思う。でもリドルの日記破壊からのリドル爆散のくだりなんて、ガキんちょには結構トラウマもんだよね。

空飛ぶフォード・アングリアを運転するロンがずっと可愛かったし(途中車から落下しそうなるハリーの手を掴むけど、ロンの手が汗まみれで滑るのが可笑しい)、暴れ柳に車がブチ壊されるくだりは『ジュラシック・パーク』だし、そこでロンの杖が折れるのも笑ったし、その後車が「怒って」ハリーたちや荷物を「もう二度と乗るな!」と勢いよく放り出して森に走って行くのもめっちゃ可笑しかった。改めて見直している過程、どうやら俺はロン推しのようです。

今回はスリザリンメインの作品なのでマルフォイもずっとうるせえ。表情がうるせえ。芝居上手いなー。でもハーマイオニーに「穢れた血」って言うのマジ最低ですから。その後涙を浮かべる彼女を励ますハグリッド泣ける。ハグリッドはずっと優男だ。ラストのルシウスが超ザマアだった。あとドビーとゴラムなら、本当にドビーの方が可愛いなとも思った。

アラン・リックマンケネス・ブラナーの決闘シーンがあって燃える!のだけど、あっさりケネス・ブラナーが負けるのも含めて笑った。

f:id:IllmaticXanadu:20201208105731j:image↑『テネット』とは大違いの爆発的胡散臭さなケネス・ブラナー

f:id:IllmaticXanadu:20201208095847j:imageハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004/アルフォンソ・キュアロン)

シリーズで最も格調高い「映画」なハリポタ。であり、最も精神分析的な一本。アルフォンソ・キュアロンがこれでもかとサイレント映画オマージュを散りばめていて、ほとんど台詞ではなくスラップスティックなシーンが連発するし、アイリスイン/アイリスアウトが繰り返されながら、カリガリ博士やラングやムルナウ的な美術が徹底される。「さあこれから災難が巻き起こるぞ!」とガマガエル持ちながら合唱するの、サイレント映画の説明字幕みたいな役割だったし。もちろんキュアロンなので長回し要素もある。アラン・パーカー組撮影監督のマイケル・セレシンによるダークな陰影は、そろそろ勉強どころじゃなくなってきた感がビンビンに。

始まった瞬間から終わりまで、物語的にも映像的にも、終始「光」についての描写を突き通し続けている。だから天候映画でもある。闇の中の光についての物語は、断片的な光のきらめきが連なり、ついに「エクスペクトパトローナム」へと帰結する。何度も繰り返される父との比較。しかし最終的には、そんな父をも超える大きな光を、自らが自らのために照らす。自己肯定と光。映画と魔法。映画の光。美しい物語だと思う。

明確な敵役が存在せず、クライマックスが地味なのも頷けるけれど、ディメンターもピポグリフも狼男もタイムリープもあるし、2時間半あっという間な展開。英国俳優たちのキャストアンサンブルも楽しい。

台詞もないスリザリンのボブヘアの女の子が可愛い。と、小学生の頃に観た時の印象がずっとあったけれど、10年ぶりくらいに見直したらマジで台詞もクローズアップも無いマルフォイの腰巾着、の隣にいるような超脇のキャラクターだったので、やれやれƪ(˘⌣˘)ʃと思った。

f:id:IllmaticXanadu:20201208105835j:image↑この右端のボブヘア・スリザリンの娘が好きだったけど、全然出番なかった……

f:id:IllmaticXanadu:20201208100005j:imageハリー・ポッターと炎のゴブレット』(2005/マイク・ニューウェル)

15年ぶりに観た。劇場で観た時、ついに描かれたヴォルデモートのヴィジュアルの素晴らしさに感銘を受けたのを憶えている。ペティグリューによるヴォルデモートの作り方講座が終わると復活する彼は、不気味さと恐怖を体現するかのようなハゲ姿なのだけれど、最も生理的嫌悪を抱くのは「鼻」だろう。鼻が無い、というヴィジュアルショックは、まるで骸骨そのものを想起させる。

シリーズにおいて最も単純化された物語には、何らサスペンスも無い。対抗試合の様子も全く盛り上がらないし、人間描写にしても台詞にしても、ずっとダサい。極め付けは、童貞のメガネの初恋を結構な尺で目撃せねばならず、心底どうでもいい。これだ!という決めのショットも無いしね。ダメだこりゃ、と鼻クソをほじっていると、クライマックスで復活するヴォル。そして初の生徒の犠牲者。急に大絶望で幕が閉じる。このヴォル復活が無ければ、相当どうでもいいダサい作品なのだけれど、13年ぶりに復活したヴォルが「決闘しよ。しよしよ」とテンションが高いので楽しい。

とは言え、この監督の演出のダサさというのは、例えばハリーが暴れん坊のドラゴン・ホーンテールから奪い取った金の卵が、グリフィンドール生の目前で掲げる手にジャンプカットする編集があるのだけれど、これ見よがしな省略で心底ダサい。

あるいは、クライマックスの対ヴォル戦において、亡霊となったセドリックやハリー両親がハリーの前に現れるのだけれど、その時に、冒頭で殺されるマグルのおじいちゃんもなぜか現れる。ヴォル復活という絶望の時間に、なぜか緊迫感を削ぐようなおじいちゃんの登場。当然、このおじいちゃんは何もしない。出さなきゃいいのだ。必要ないのだから。

原作ではそうなんだとかどうでもよくて、映画のサスペンスやエモーションを如何に作り出すかという術を、この監督は忘却しているとしか思えない。ハリーとロンの喧嘩の終結とかダンスパーティー諸々とか、人間や若者をナメんなよと言いたい。あと、客をナメんなよ。

と、本当に色々ダサいTVムービー並のクオリティである本作に肉付けされているのは、やはりキャラクターたちの魅力だと思う。特にマッド・アイ・ムーディーが濃い。対抗試合のためにやって来るラグビー部みたいなマッチョとか宝塚歌劇団みたいな女学生たちとかも面白い。ドラゴンも造形かっこよかったです。水中でハリーを襲うポニョみたいなタコみたいなやつらも気持ち悪くてよかった。ハグリッドと恋仲(?)になるデケエババアもよかった。ハリーもロンも『アズカバンの囚人』からめっちゃ大人っぽくなっているのだけれど、ハーマイオニーがめっちゃ綺麗になってるのもよかった。「次はすぐに私を誘うべきよ!んもう!」とロンに泣きながら怒るのとか、めっちゃ女子じゃんと思えてよかった。

本作から魔法によるバトル要素が確実に付加されたので、1〜4を前半「学校は楽しいけれどたまに死にそうになる編」として、残りの「もう勉強している場合じゃないから戦争します編」の後半も楽しみたい次第です。

ワールドカップの最中にデスイーターが奇襲してくるのだけれど、テロとして普通に怖かったな。

『テネット』ファンには『秘密の部屋』のケネス・ブラナー然り、キャスト的に懐かしくてちょっと嬉しい作品ではあるね。

f:id:IllmaticXanadu:20201208105941j:image↑『テネット』で再共演を果たすセドリックと宝塚。

f:id:IllmaticXanadu:20201208100202j:imageハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(2007/デヴィッド・イェーツ)

13年ぶりに観た。終盤、シリウス・ブラックがハリーに思わず「いいぞ、ジェームズ!」と叫んでしまうのが一番最高。あそこがガン泣きポイント。たった一言の台詞に宿る凄まじいエモーショナル。その後のシリウスフワァ〜の余韻の無さもどうでもよくなるくらいに最高。そんでもってダンブルドア対ヴォルデモートにおける、このジイさん……強い!というダンブルドアの力の誇示っぷり燃える。思えば、シリーズでダンブルドアが戦闘モードになるのはこれが初めてで、それが満を持して対ヴォル戦だというのはどうしたって盛り上がってしまう。「いくぞトム!」「黙れ老いぼれが!」ある意味師弟対決。ハリーくん見てるだけしか出来ない。ヴォルはすげーガラス割ってたな。うんぎゃー叫びながら。レイフ・ファインズ、小説版では表現出来ていない絶妙な叫び芸してていいんだよな。

本作から最終作まで、監督はデヴィッド・イェーツとなった。個人的にはあまりこの監督を評価してはいなくて、というのも、画面にグリーンを基調としたカラーグレーディングをすればいいと思っていやがって、全体的に暗い。画面だけじゃなくて話も暗いのだけれど、なんかこの軽ーいシリアス感がどうも好ましくない。まあ路線変更というか、ココから戦争突入なので製作陣の判断は分からんでもないけれど、子供たちにとってどうなんだろうこの暗さは。あと、普通にTV放映版かよってくらいにカットが抜けてて、編集のせいなのか撮影時のコンテのせいなのか知らないけれど、とにかくブツ切り感が半端ない。魔法でカットが抜け落ちてるのかとすら思うよ。ボリューミーな原作を2時間半に脚色している手腕も、事務処理的でしかなく、娯楽にはなっていない。こんな演出力のないシリアスぶり野郎が、まさか最終作まで監督しようとはこの時には思ってもおらず。というかファンタビも彼が監督なわけで。あれ、じゃあ俺がおかしいのか? でも上手い監督とは全く思わない。

ファッキン魔法省やアンブリッジのババアが体現している通り、どんな時代どんな場所においても権力による監視社会というのはクソでしかない。言論統制、行動や表現の自由を剥奪する政治は、トランプ政権をやんわりと予言したかのようだけれど、本作では同時代的に、モロにブッシュ政権の「愛国法」をトレースしながら、いよいよ魔法界にもディストピアが到来する。ヴォル復活を認めようとしない魔法省は、安倍政権、現菅政権をフィクションでも見せられているかのようだ。アンブリッジが「権力ファックオフ、学校やーめた」なフレッドとジョージによって一発食らわされて、その後ケンタウロスたちに拉致られるまでカタルシスが無く、権力うぜえ死ねとずっと思いながら観ていた。

ヘレナ・ボナム=カーターが加わっただけで、めちゃくちゃ凶悪度が増すのは流石。終始全力で悪い人演技をやっぴー!とこなす彼女、ティム・バートン映画で魔女演技は予習済み感がとても良かった。やっぱりこのシリーズは俳優たちの演技に救われてると思う。

そして、ルーナ・ラブグッドである。原作のルーナは割とキモキャラなのでかなりデフォルメされてしまっているけれど、演じるイヴァナ・リンチさんがべっぴんなので無問題。不思議ちゃんキャラがとても良いので密かに推していこうと思う。が、このイヴァナ・リンチさんはハリポ以外の映画出演がない!どういうことなのか。ルーナだけを演じるために女優デビューし、ルーナに全力を尽くしてしまったのか。現在の彼女の写真を見た。ちょっとエロい。今後の彼女の活躍を願う。

f:id:IllmaticXanadu:20201208110039j:image↑撮影現場で談笑するダンブルドアとヴォル。いい写真。

f:id:IllmaticXanadu:20201208100318j:imageハリー・ポッターと謎のプリンス』(2008/デヴィッド・イェーツ)

12年ぶりに観た。シリーズ屈指の鬱回。ポスターからも分かる通り、いよいよガキだけではどうにもならず校長先生が大協力する。謎のプリンスの正体が判明するクライマックス一連、本当はいい奴なドラコの葛藤、ハリーをナンパするウェイトレスの女の子、電車で石になったハリーを助けるルーナの掛けてたヘンなメガネ、ダンブルドアの不味い水ガブ飲み、ダンブルドアの炎ぐるぐる、陸地じゃなくて海面にそびえ立つ岩に移動しちゃって「あ、やば」となるダンブルドアとハリー、などが良かった。

鬱回たる所以はクライマックスの展開で、他はほとんど童貞たちの恋愛模様で本当に辛かった。いや、好きなキャラクターたちがいよいよ恋愛するまで成長している様子には、親心として微笑ましいのよ。微笑ましいけど、その恋愛模様がストーリーとは全然関係してこないし、その分どんどん尺が伸びていくのが辛い。恋愛は魔法じゃどうにもならないね♡じゃねーんだよ!恋してんじゃねえよ!まあでもファンには嬉しい展開なのかな。ロンのことがめっちゃ好きな女の子が可愛らしかった。けど、あんな人間いねーよ。嫉妬でメソメソしまくるハーマイオニーがロンにキレるのも面白かったし、結局ロンに寝言で「ハーマイオニー……」って言われてドヤな彼女も可愛かった。

最初のロンドンのミレニアム・ブリッジ襲撃シーンはすごくいい導入部だと思うけれど、だーれも死なない感じがズッコケ。もっと手加減なく悪行をしろよヴォル軍!おじいちゃんおばあちゃんたちが橋から避難するのを待つなよ!

原作では『謎のプリンス』が一番面白いのにめちゃくちゃ改編されとります。アレを切ってコレを残すんかーい!恋愛を残すんかーい!しかし次と次で終わりだ!あ〜セブルス〜セブルスを見るために見返しているんだよ〜早く「あの」あなたに会いたいよ〜ああ〜セブルス〜〜(なるほど、つまり本作のどーしよーもない恋愛要素は『死の秘宝PART2』への布石だったのか……そういえばセブルスの過去を一瞬ハリーが見るけれど、その時にはセブルスをいじめるジェームズしか映っておらず、リリーがいない、というのがかなりミソだったな……)

f:id:IllmaticXanadu:20201208110114j:image↑「いや、ここどこすか」「……」とガン無視しながら呆然とする先生と生徒。

f:id:IllmaticXanadu:20201208100426j:imageハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』(2010/デヴィッド・イェーツ)

10年ぶりに観た。分霊箱の力によってロンが幻視した、全裸のハリーとハーマイオニーがべろんべろんにベロチュウする様子がエロかった。あとはひたすら長い。タイトルでもありマクガフィンである死の秘宝という「言葉」が登場するのが後半30分っていくら何でも遅すぎるだろ。普通はその説明が前半にあって、そこからそれを求めて物語を展開していくんじゃなかろうか……PART1で2時間半費やしているけれど、極論、起承転結の「承・承・承・承」という時間の流れなので、1時間半くらいにまとめていただき、PART2への興味の持続を機能させてほしかった。 長いと言っても、終始ハリーたちが森でテント張ってケンカするだけで緊迫感は無く、尺を削ってドラマを展開させることに懸命になってほしかった。愛しのロンがずっとすげー怖い顔していて怖かった。ロンが怒ってどこかへ去り、残されたハリーとハーマイオニーがラジオから流れる曲に合わせて急にダンスするのだけど、すげー気まずくて、もうハリーが男女の友情を超えて一発ハーマイオニーとキメようとしている感じにしか見えなくてやばかった。もちろん、落ち込むハーマイオニーを励まそうとするハリーの優しさのシーンなのは分かるのだけれど、演出がヘボすぎて、ハリー絶対に勃起してるだろという風にしか見えなかった。最終章の緊迫感は?! もちろん最終章らしく、冒頭で家族の記憶から自分の存在を消すハーマイオニーに泣くし、どこへ逃げても追いかけてくるデスイーターには恐怖しかなく、いよいよ戦争映画のようなプロットと化していく。カフェで敵に奇襲されて、杖を銃に見立てた銃撃戦ならぬ杖撃戦が起こり、この乾いたバイオレンス感は好みだった。でもこれも一瞬。 重要人物があっさり死にすぎだし(そういう死生観?)、ハリー7人分身作戦もハリー本人以外の6人と敵の攻防を見せてくれないので何のための設定だったんだと思うし、観客ひいてはファンへのサービス精神が垣間見れないのだけれど……ドビーのラストワードにはグッとくるけどさ。カットの繋がり的には省略されまくってて早いのに、映画の体感時間はひたすら長いんだよな。 ただ、やっぱりキャラクターが魅力的だから、彼らを眺め続けることは出来るわけです。ロンとハーマイオニーがちょいちょいイチャコラするのも可愛かった。ルシウスが吹き飛ばされて、起き上がったら続けて2回吹き飛ばされるの笑った。 ヴォルも全然出てこないし、ババアのくだりとかも退屈だし、移動が一瞬なのでダイナミズムにも欠けるし、かっこいい画も無い、そして長い、長すぎる……大丈夫なのか完結編……と、心配していた私を軽やかに裏切るかのように、死の秘宝PART2は号泣必至の男泣き映画だった……。

f:id:IllmaticXanadu:20201208111256j:image↑妙に生々しかった全裸のハリーとハーマイオニーのベロチューシーン。

f:id:IllmaticXanadu:20201208100516j:imageハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』(2011/デヴィッド・イェーツ)

セブルス抱いてくれ!!!

9年ぶりに観た。1作目からリアルタイムで、しかもハリーたちとほとんど同年齢で育ってきた者であるからには、たとえシリーズが途中で迷走気味であっても、たとえ映画の出来として完成度が研磨されていなくても、共に歩んできた道程の思い出の数々が結実する、大きな円環が閉じる果てしなく美しいラストシーンに号泣必至でびーびー泣けてしまった。1作目で列車の外へ逃げて行ってしまったカエルチョコが、ラストシーンで列車の外から再び帰ってくるというサプライズ……この瞬間の彼らのために全ての戦いはあったのだと、希望は後世へと繋げられたのだと全員が実感するフィナーレ……映画としての完成度よりもエモすぎて感動に震えるというのは『ジェダイの帰還』にも似ている。約10年間、リチャード・ハリス以外の全キャスト続投で完結したシリーズと考えると、改めて偉業だとは思う。

本作の美点は、とにかくセブルス・スネイプの生き様の儚さに尽きる。最終作で明らかとなる彼の壮絶な半生を省みるに至って、ファンならずとも、一人の男の孤独で献身的な愛の物語には思わず涙してしまった。今回、久方ぶりにシリーズを見返そうと試みた理由は、彼の愛を認知してから彼目線で観るシリーズの魅力を発見したかったからだ。その実、いちいちスネイプの行動や言動が切なくて仕方なかった。マグゴナガル先生と対決する際、彼女の呪文を跳ね返すふりをして、実は背後のデスイーターに当てているのめっちゃ泣ける。記憶を「涙」を通して見るというのも泣ける。

内容としてはもはやファンムービーの何でもないのだけれど、ホグワーツ決戦は結構なバイオレントで燃えるし、ヴォルも容赦なくガキんちょたちを殺戮していくので手に汗握る。ロンの母ちゃんとベアトリクスの対決、呆気なさすぎワロタ。マグゴナガル先生が途中からフェードアウトして最後まで出ないのもワロタ。ネビル良かったな。俺はああいったナードの負け犬野郎が一発活躍するのに弱い。

所謂「白い部屋展開」(『2001年宇宙の旅』とか『マトリックス』のやつ)が本作にもあり、そこで横たわるヴォルの魂の造形がめっちゃグロテスクで良かった。

序盤のグリンゴッツ侵入からのドラゴンちゃん大暴れなども景気が良く、戦争映画の流れで大バトル展開していくのが大変楽しいし、セブルスのモンタージュで号泣して、クライマックスのハリーとヴォル対決は見たかったものを見せてくれた感があり(敵の生死を確認しなかったり、自分の命より大事なヘビちゃんを戦闘させたりするヴォル迂闊)、そしてラスト、もう大満足。どこまでもファンムービーかもしれない。でも、こんなファンムービーがプレゼントされるファンは幸せ者だよ。

総じて、恵まれたシリーズだったと思う。何よりも主要3人をはじめとしたキャラクターたちの魅力が素晴らしかった。初めから大いなる力を待っている者が、その力の発揮を延長している物語というのはいくつもある。ハリー・ポッター貴種流離譚に分類されると思うけれど、これは英雄の物語というよりも、英雄を守った人々の愛の物語でもあって、そういう側面に自分は惹かれた。子供の頃に観ていた映画は、ノスタルジーも含めて、それだけで大切で偉大だ。ちょっと大きくなってから見直せて良かった。ハリー・ポッター、ぼく好きです。

ところで、J・K・ローリングって絶対シリーズの途中から映画化を念頭にして原作も書いていたはずだよね?本作のドラゴンちゃんとか、ぶっちゃけ物語には必要ないし。でもその方が映画が派手じゃん!って盛り上がり要素を意図的に原作に挿入している辺り、うまいねーと思った。原作も、今一度読み直してみたいと思います。

f:id:IllmaticXanadu:20201208111341j:image↑ IT ALL END!10年間お疲れ様!