20世紀ゲネラールプローベ

電影永年私財法を発布するべくゲネプロ中の備忘録。

【物語る作法までジャンク品である必要はないのに、作品の状態に無自覚な出品者です。評価1】『JUNK HEAD』雑感

f:id:IllmaticXanadu:20210402115453j:image今話題のクレイアニメーション『JUNK HEAD』を観た。

 

 

「頑張っている」と「面白い」は違う。

 


観ている間、ずっと「ああ、映画はひとりで作ってしまってはならないのだな」とつくづく感じた。あと、独学も本当に危うい。

 


7年間の撮影期間は優秀なプロデューサー不在の記録でしかなく、溢れんばかりの自意識だけが歯止めなく尺を伸ばしてしまっている。文字通り、たったひとりの男の名前で埋め尽くされたエンドロールの文字列のように。そのくせ、重要な転換点や描写は足りないというていたらくで、尻切れトンボな結末にも溜息が漏れた。どこへ向かって走っていたのか。終わらせられなくなっているじゃないか。

 


「作ること」に執着した作り手が、「物語」への一切の信頼を寄せることなく、ドヤ顔でえっへんと王座に座ってふんぞり返っている姿を見て、民たちは「いやあ、すごいですねえ、よく頑張りましたねえ」とニタニタするだけで、誰も厳しく、正しく、「王様は裸だ」と叫ばないでいる状況は、端的に言って不健全だ。自分が見ている"景色"を人に見せる作法がまるでなっていない。設定と造型を完成させて、物語を自ら物語らせることが出来ずに自滅している。それは、作者のナラティブが果てしなく浅はかであることを淡々と証明していた。クレイアニメーションを「作り続ける」ことの才は大変感じたけれど、映画を物語る才はあまりにも感じられなかった。

 


f:id:IllmaticXanadu:20210402115918j:imageより具体的に指摘するとして。ジャイアントバカ怪物の造型を取ってみても、『バイオハザード』シリーズのリッカーそっくりだし、『デッドリースポーン』のエイリアンにも似ているし、つまりはギーガーデザインのエイリアン、ビックチャップを連想させるわけで、真新しさは感じられない。肛門が可愛い顔してるみたいなデザインも然り。『エボリューション』のエイリアンは肛門じゃないけど、顔が可愛いのに口開けたらバケモノだったとか、そういうデザインは掃いて捨てるほどある。


オリジナルの言語によって会話される本作は、その音のこだわりが浅はかであることも指摘したい。こんな言語、全然楽しくないよ。スターウォーズの真似がしたかったのかもしれないけれど。一つの音も魅力的でない。ハッキリ言って、こんなに音楽的ではない映画も珍しいというか、終始、音が気持ち悪かった。気持ち悪いことが罪なのではなく、客に「聴かせる音」の設計、マスタリングが出来ていないことも問題だと思う。そういった音質の酷さも同様に心地悪く、音の楽しさが皆無だった。さりとて、作者はひとりで自らが創作した言語をドヤと披露している辺り、痛々しい。音に関するクリエイティビティの低さを露呈しているにも関わらず、そこに無自覚な作り手が起こしているこのインフレは、耐えるのがしんどいものだった。


f:id:IllmaticXanadu:20210402120002j:imageさて。

本作では、あらゆるモチーフは即物的にも機能しなければ、説話的にも活かされないでいる。ダンス、生殖、頭、女、天国。そのどれもが正しく描かれない。作者は描いた気でいるし、観客もコロッと騙されて「深いなあ」と自己満足に耽っている。このような両者の関係性はグルーヴしており、一種の共犯関係にも近く、罪深い。

主人公がダンス講師という背景が前半で回想の形で提示される。そこで彼は赤いドレスを着た女性と踊るが、彼女の胸が当たって舞踏は中断される。こうして、意図的に一度中断された物語はやがて"動かされる"のだろうと当然見守っていたが、後半でロボット主人公が女キャラ(名前を失念)といざ踊ろうとすると「痛い!足踏んだ!」と叱責されてシーンは終了する。その後、踊りは"再開"されない。よって、踊りのモチーフは何も物語と絡まないし、主人公の望みは成就されない。もし「それは続編でやります」とかほざいたらジャンクヘッドにすっぞ。

たとえば、主人公と女キャラがラストで踊ってみせたっていい。"天国"というモチーフが登場しているのであれば、天にも昇るような心情を"ダンス"によって表現してもよかった。『ラ・ラ・ランド』みたいな感じだろうか。

あるいは、"生殖"と密接した物語なのだから、着地点は"生殖"に成功した/失敗したなど、ミッションや目的に関する希望or絶望を描けばいいはずなのに、その人類にとっての問題は何も解決されずに幕が下りる。当然、この物語上において"主人公に想いを寄せる女性"の登場を観て、ああ、ロボット主人公と彼女が種族を超越して生殖に成功して人類の希望に繋げるのかしらと思っていたけれど、全然そんなことはなかった。もちろん、この問題解決を描くための"装置"として女性を機能させることにはいささか疑問は覚えるけれど、何の役にも立っていない本作の女キャラよりは「作劇」においては重要だと思う。"生殖"ニアイコール"セックス"を描けない理由でもあったのであれば、それこそ昇天するような幸福を"ダンス"で描けばよかっただろう。ロボット主人公と女キャラが踊りながら天に上る、徐々に二人の姿はタキシードと赤いドレスへと変貌していく。それは地下で芽生えた愛の成就であり、人類に子孫が誕生する希望でもある。みたいな。そういう厚みが物語だよ。

ロボット主人公が自己犠牲を払うも、それによって受ける傷は下半身消失くらいで、女キャラの背中におんぶされながら平気で喋れているのにも呆れた。この主人公の葛藤とその代償が、あまりにも何も無い。失うものが何もない主人公を観ていても、何も感じられない。彼が鉄パイプ(あるいはエヴァ的に言えば槍)によって突き刺すべきは腹部だったとしても、頭部は喪失すべきだった。より端的に言えば、絶命することによってヒーローとしての代償を払うべきだった。しかし、彼の勇気ある行動は確かに何かを残す。それを受け継ぐのがアレキサンドルであり、あの女キャラなんじゃないか。

つまり、ラストになって観客に判明するのは、なるほど我々が今まで観てきたものは聖書を失った世界における「神話」だったのだとサプライズすべきだった。劇中で何度もロボット主人公は「神様」と呼ばれる。しかし、そこにダブルミーニングは付与されておらず、ただなんとなく人間=神様という説明及びつまらんギャグとしか機能していない。より明確に主人公を「神様」へと導く物語を叙述してもよかったと思う。なぜなら、これは人類が新しい宗教=物語を獲得するまでの話であった"はず"だからだ。本来ならば。

だから主人公の自己犠牲はキリストに連結することも出来たはずだし、エデンの園からの脱出を描く失楽園のような着地にだって辿り着けたはずだし、女キャラは聖母マリアのような役割を果たすことだって実は出来たし、なんなら周囲に神様呼ばわりされる主人公が「俺、神様か……なんでも言うこと聞いてくれるんだね?」「もちろんです!」「よし!じゃあ一つだけ……」と言って、次のカットで空腹の女キャラ(実際、彼女は劇中で「お腹空いた」と発言している)に対して「こんなものしかなかったけれど、どうぞ」と食べ物、リンゴやらパンだとキリストと繋がり過ぎちゃうけど、とにかく食べ物を差し出して、そこで「ありがとう」って女キャラが頬を赤くすればよかったはずだろ。なんであんなアホみたいな下手くそなタイミングで赤面してたんだよあの女は。ってかさせてるんだよ作者は!

キャラクターに、キャラクターの関係性に厚みを持たせる描写はいくらでもあったはずだ。そういったブラッシュアップが圧倒的に足りないのが、冒頭でプロデューサー介入が必要だったと記した理由だ。

 


f:id:IllmaticXanadu:20210402120032j:image重ねて断言するが、「頑張ったこと」と「面白い」は違う。観客にはそんなのどうでもいい。ソーシャルメディアのおかげでちょっと話題になっているし、スチームパンククレイアニメーションもSFもまともに摂取していないパンピーたちが称賛しているのかもしれないけれど、こんなものは楽しくも何ともない。デルトロが褒めるのもよく分かる。理解は出来るけど、だから総じて面白いという論にはならない。

 


大遅漏の末、作者ひとりだけが射精している。

いや、果たしてこの映画で射精し切っているのか?この物語で、この結末で。出し切っているというのか?

少なくとも、ぼくは何一つ、映画を観ることの快感は感じられなかった。

 

すみません、ジャンク品扱いでお願い致します。次回作、大いに期待しております。待ってないけど。