20世紀ゲネラールプローベ

電影永年私財法を発布するべくゲネプロ中の備忘録。

大なわとびの会#1への私が頂戴した感想

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大なわとびの会#1 (期間限定公開) on Vimeo

緊急事態宣言下、盟友の澁谷桂一から「こんな時だからこそみんなで映画を撮らないか?」と誘われた。彼は「遊び」たがっていたし、彼自身が時代を理由に静止していることに恐怖していた。家でひたすら映画を観ることでしか何かを保てていなかったぼくは、開口一番「いいよ」と応えた。そこから彼の元に遊び仲間が集まり、それはやがてリレー形式のオムニバス映画として完成した。これが「大なわとびの会」である。

澁谷が発案した企画#1はチュートリアルの要素が強い。5人の参加者によるリレー形式のオムニバスは、1人目のラストショットを受けて2人目が新たなテーマを構想し、再び2人目のラストショットを受けて3人目、4人目、5人目……といった「絵しりとり」的なオムニバスになっている。リレーの順番は作品が完成したその都度、皆で鑑賞した後にクジ引きで決定した。尺数は5分以内、3日間で撮影・編集含めた完パケを遂行するというルールも設けた。尚、1人目のみテーマは「時計」で開始した。

順番は、①立脇実季→②荒川ちか→③杉浦→④澁谷桂一→⑤福島健太となった。

我々は言葉そのものの意味で「遊んだ」。腕試しですら無いのかもしれない。実験にすらなっていないかもしれない。鬱々とした緊急事態の中、こうしてカメラを持って何かを撮ることへのプリミティブな愉しさを大いに実感した。誰かの作品が仕上がるたびに、そのお披露目の瞬間に高揚した。企画者の澁谷にとってはまずは助走段階に過ぎないのかもしれないが、ぼくにとってはこんなに素敵な「遊び」は無かったのだ。少なくとも、あの時には。

しかし、この企画がたとえ内輪の遊びだったとしても、完成作品が不特定多数の人々に「誤送」されることを回避してはならないはずだ。そこで、この度10/29〜11/5までの限定公開に至った。

f:id:IllmaticXanadu:20201031120247j:image自らの作品について饒舌になることは避けるが、ぼくはまずサイレントで映画を作りたかった。作品内で内部・外部双方へのイミテーションな暴力衝動を煮込ませながら、緩やかに定められたルールから脱線しつつ、やがてはまがい物ゆえに自分自身を断罪するに至った。前走者、立脇監督と荒川監督には申し訳ないほどに好き勝手に遊んでしまった(でも、ちょっとずつオマージュはしているんですよ……)。後悔はない。加えて、hocotenとして消費される女優・久田紫萌子への眼差しを与えたく、他の誰もやらないなら自分が彼女を撮ろうと思った。きっかり24時間、二人だけで撮影・編集を完遂した。

本稿では恐縮ながら、ぼくの監督作品に頂いた素晴らしい感想をここに転載させていただく。作品以上に秀逸な感想が純粋に嬉しかったのだ。書き手はぼくのマブ・ヴァージン砧の香椎響子氏と、ぼくのロマン・排気口の菊地穂波氏の二人だ。二人の言葉を信じているからこそ、その言葉が自らに向けられているという歓びをここに残しておきたい。そして、二人のような「演劇」の書き手による「映画」の感想の豊かさに着眼しつつ、今後の創作研磨のための貴重な証言として享受する次第である。

恐縮ながら、この場を借りて二人には御礼申し上げます。

 

f:id:IllmaticXanadu:20201031120036j:image【香椎響子(ヴァージン砧)氏から頂戴した感想】

私が伊丹十三を好きなこと、スギさんはご存知かと思います。伊丹十三のことを敬愛する理由の一つが「誰よりも宮本信子を魅力的にうつすから」なのです。伊丹十三宮本信子夫妻は私にとって理想的な夫婦像で、それは決して男女・夫婦としてだけでなく、監督・役者という関係性においても素晴らしいのです。伊丹十三は誰よりも女優宮本信子を愛しており彼女という女優の素晴らしさを伝えたいと映画を撮る。つまり、監督(私だと演出)がどれほど役者と台本を真摯に愛せるのか、が私は大事だと信じてやまないのです。だから座組みの役者を愛したいし幸せにしたいと真剣に思っています。そういう意味で、今回の作品はほこてんさんの魅力を引き出しているのが素晴らしいです。とびきり綺麗です。それは、着飾られた人形としての美しさではなく生きた人間の泥臭い美しさ。退廃的な雰囲気によく似合う瞳が、とても素晴らしいです。子宮の奥がきゅうとなります。
 
直接お伝えしましたが、やはり恐怖はエロティシズムです。女性の苦痛に歪む表情はどうやったって艶美だし、それはジェンダーロール云々の話を割り込ませる隙を与えません。何も浴槽の場面だけの話をしているわけではなく、例えばベンチで彼女が腹のあたりをぎゅうと掴むアレ。何かを強く掴むということは何かを逃したいという欲求、そして怯え。あの手のエロティシズムといったら!怖いはエロいんだなあと思いました。
 
これもお伝えしたと思うのですが、色彩が大変好みでした。
性は生活であります。どうしたって大豪邸の大理石より四畳半の畳のほうがエロいのです。叶姉妹より団地妻なのです。生活感のある色彩、ユニットバス、衣装、ほこてんさんのお身体、更には序盤の女の子の下着だとか電車だとか、やっぱり生活感は性なのだと思いました。
そんなことに注目して見てしまったので、ほこてんさんの飲むペットボトルが鮮やかな赤なのは少し気になってしまいました笑
いや、じゃあどうしたらいいんだというと飲み物はどうしたらいいか答え出てないのですが。だから聞き流して下さい。
 
日本のHIPHOPの語彙で表現させてもらうとしたら「破壊と再生」だなと思いました。全編を通して破壊と再生が繰り返されている。物を破壊し映像を再生し人を破壊し女を再生し構造を破壊し逆再生し。作っては壊し作っては壊し、壊しては作り。それは、それこそ創作です。私たちは既存を破壊し新しい私たちを再生する。だから、大コロナ時代においても破壊と再生、破壊と再生を今まで通り繰り返すだけなのだと思いました。
 
なんだか上手くまとまりません、雑多で申し訳ないのですがそんな感じです。感想書かせてもらってありがとうございます。是非何かしらの創作を共に破壊と再生できたら最高ですね、その日まで私も頑張ります。

 

f:id:IllmaticXanadu:20201031120157j:image【菊地穂波(排気口)氏から頂戴した感想】

立脇監督から荒川監督へ、イメージという見えない花束のリレーは杉浦監督により粉々に破壊される。クラッシュから幕を開けてそれまで 2 本には使われなかった音楽が鳴り響き間髪入れずに美少女=ホコテン氏が殺される。冒頭、バキバキに割られるディスクはそのままホコテン氏の血塗れの裸体に重なる。刃物は上から正しく振り下ろされる。まるで立脇・荒川監督がイメージを託した「上から見つめる者=月」を「殺戮者」に変える、常軌を逸した破壊衝動。しかし映像は完璧にコントロールされ冷静に死にゆく美少女を映す という欲望に満ちている。世界はその瞬間に血塗れのバスルームだけになる。裸体の美少 女を生贄に捧げて。死体=静と殺される身体=動は交互にしかし正しく映像の文脈をなぞ りながら繰り返される。

所は代わり、ベンチでのシーン。ここでも被写体との距離は完璧 にコントロールされている。杉浦監督の特徴的な引きの画はここで最高峰に冷静に距離を 取りながら、それでいて、美少女が美少女として存在する為に非常に効果的である。両脇 に葉を映しながらその奥にいる2人のなんとロマンチックでエロスの固まりであろう。赤い血をペットボトルで飲ませるイメージは容易にフェラチオを思わせる。が、私は声を大 にして言いたい。ホコテン氏の似合いすぎるワンピースもさる事ながら、足のばたつき、そしてねだるように動くあの手。表情はどこか物足りずも満ち足りている。これはフェラチオなんかではなく「少しだけ雑なキス」なのだ。エロスに満ちていながらも繊細な手を しっかりと映す。接吻を唾液という(流血から簡単に連想しそうだが)安易な変奏を選択せずに、より抑制された足というイメージで表す。冒頭で固まった血塗れの足は、ベンチでエロスによりバタバタと動く。杉浦監督が徹底しておこなうこの抑制は、抑制こそがエ ロスの根源であり、抑制こそが破壊衝動の根源であると知っているからだろう。実に効果的に音楽と合わさり目眩を覚える。

そしてラストカット。とうとうその破壊衝動は自己に向き、美少女に殺されるという、ある種もっともエロスとタナトス両儀を兼ね備えた至 福の方法で杉浦監督の破壊衝動は成熟する。ここで引きの画は作中で最も精密に、杉浦監督自身の破壊を映す。そしてここでようやく液状の血液が煙草を濡らす。この血液は荒川 監督が扱った血をより流れ出るものとして、形を取らないものとして存在している。ここまで完璧にコントロールしていた杉浦監督のイメージは流れ出る血液という、コントロー ルすることが不可能な流動性に託して次の為の幕切れ。一見破壊の限りを尽くしているかのように見えてしっかりとバトンを手渡す杉浦監督の優しさ。フリッパーズギターの歌詞 に「血塗れのラストシーン」とあるが、もしかしたら全ての終わりに抗えるのはもしかしたら形になることを拒否する血液の流動性なのかもしれない。それがすごく短い時間だったとしても。(映画/映像における切り取る欲望、それは当然のように編集=カッティングという行為にも大きく宿る。杉浦監督の抑制とコントロールされた演出は勿論、編集の素晴らしさによる所が大きい。が、けっこうオンライン飲み会で感想を言ってしまったので、ここでは言ってなかった事を書いてみた)

ちなみに私は水とトマトジュースを間違えてガ ブ飲みして吐いてからトマトジュース大っ嫌い。そんな間違え方をする自分はもっと嫌い。 でもそろそろ自分の事は許そうと思う。憎いのはトマトジュースだけで十分だ。