20世紀ゲネラールプローベ

電影永年私財法を発布するべくゲネプロ中の備忘録。

最近観た映画の備忘録#6(なんとなく読み続けている読者の方は察すると思うのですが、わたしは女優について特に書くことが多く、それは美しい女優へのファナティックな幻想によるものと言うよりは、スクリーン一杯に映る女優の顔に対する、うっすらとしたフォビア(恐怖)があり、その美しさとグロテスクさに、魅惑されながらも脂汗を流してしまう、人生で最も興味を抱く存在だからなのかもしれません。そんなこんなで、今回も女優について書いている感想が多いです)

f:id:IllmaticXanadu:20200528021719j:plain『スキャンダル』(2019年/ジェイ・ローチ)

U-NEXT先行配信にて。観たかったのだけれど劇場鑑賞のタイミングを逃してしまったので配信にて初見。めちゃくちゃ面白かった。『オースティン・パワーズ』シリーズのジェイ・ローチが監督?と疑うほどに、ストレートに社会派やってた。ぼくはこの手のセクハラ告発モノは結構苦手で、というのも、どうしたって女性が酷い目に遭う様子を生々しく見せられるのは、男女関係なく怒りが湧くし嫌悪感を覚えてしまうからだ(同様の理由でレイプ描写も超苦手)。本作も愛しのマーゴット・ロビーがそういうシーンに挑戦するのだけれど、ヒヤヒヤして動悸が激しくなりほんとキツかった。しかし、便宜上「女ナメんな」映画でもある本作は、キモくて最低な男たちへのリベンジ&アゲインストとしてのカタルシスもしっかりと用意されているので、紛うことなきエンターテインメント。観ながら共に「ふっざけんなクソジジイ!!」とムカついた人ほど「ザマア!!」感は強い。セクハラオヤジ、ロジャー・エイルズをジョン・リスゴーが久しぶりに悪意たっぷりに怪演していて、往年の彼のファンには嬉しい芝居だった。加えて、エイルズ自身を単なる悪役・敵役と定型化せずに、アメリカの政治とテレビジョンの癒着関係の、その悲しき犠牲者の側面もある「かわいそうなひと」として哀愁漂わせる着地に導いているのも良かった。エイルズ自身は最低のファックオフ野郎なのに変わりはないけれど、作り手からのキャラクターへの眼差しとしてはとても好感を持てた。エイルズ以上にファックオフなルパート・マードックに、『時計じかけのオレンジ』でマチズモ的象徴みたいなアレックスを演じたマルコム・マクダウェル御大をキャスティングしている辺り、皮肉が効いていてサムズアップ。兎にも角にも、カズ・ヒロ氏による特殊メイクアップが神業の素晴らしさ。画面にシャーリーズ・セロンが登場した瞬間「マジでか」とその変貌ぶりに、あまりにも自然な顔つきに超びっくりした。シャーリーズ・セロンの真ん丸ふっくらした顔つきが、メーガン・ケリーのシャープな骨格に「見えるように」陰影や目の錯覚を利用したその技術は、誠にオスカー受賞にふさわしいとしか言いようがない。カズ・ヒロ氏は現代のディック・スミスだ。もちろん、シャーリーズ・セロン本人も、その発声法からしてほとんどメーガン・ケリー本人の完コピで素晴らしかった。実際のトランプとの映像を、映画ならではの詐術で半強制的にカットバックしてしまう暴力性も良かった。セクハラオヤジのキモ発言に対して、台詞では社交辞令で礼儀正しく対応するも、その実モノローグの声では「クソッ!キモすぎる!」とか言っている描写も面白かった。ケイト・マッキノンはどんな映画でも本当に最高のパフォーマンスを披露する女優で大好きだ。顔もいいし声もいい。『ゴーストバスターズ』でファンになって以来ずっと好きな女優のひとりだけれど、今後もかっけー彼女の活躍が見たい。飾るべき写真を飾れない状況について、耐えるか、逃げるか、それとも闘うか。状況は現在進行形なので、しばらく、まだしばらくこの問題に関しては考え続ける他ない。また、あまりにも地味な演出なのだけれど、終盤でセクハラ告発を決意したメーガン・ケリーに対して、名もなき女性社員が「一杯の水」を差し出すアクションがあり、これはバストサイズからアクション繋ぎしてわざわざ丁寧にロングショットで撮られているのも踏まえて、かなりグッときた。毒入りのコーヒーを飲んで嘔吐していたケリーに対して、辛過ぎて言えなかった過去の傷を癒すように、映画から彼女に授けられた「一杯の水」のように思えたからだ。「大丈夫、あなたも水を飲んでいいのよ」という救いと慈悲。その水を見つめるケリーが、意を決して過去を語ることのエモーショナル。こういう派手でもなんでもない、一見すると見落としがちなスマートな演出をこそ見習っていきたい。

f:id:IllmaticXanadu:20200528022209j:plain 『ジュディ 虹の彼方に』(2019年/ルパート・ゴールド)

U-NEXT先行配信にて。休業前の劇場で滑り込み鑑賞できたけれど、『オズの魔法使』を観たので改めて観た。レニー・ゼルウィガーのドヤ演技博覧会!これに尽きる。ジュディ・ガーランドというよりは、どちらかと言えば娘ライザ・ミネリに似てるじゃん?と思っていたレニー・ゼルウィガーが、ステージで歌唱する際にあのジュディのバッキバキの瞳を完全再現していて超絶すぎた。こりゃ確かに主演女優賞だわ。『シカゴ』でキャサリン・セタ・ジョーンズばかりが褒められたのがよっぽど悔しかったのか、とりあえず良かったねレニー。当たり前のように『オズの魔法使』ファナティックなので、冒頭で黄色いレンガのセットが出てきた時点で泣けた。もちろん、嫌われジュディの一生パートも楽しく観たけれど、どうしても過去ジュディパートをもっと観たかったなあという印象が残ってしまった。と言うか、ビハインド・オブ・『オズの魔法使』を、『ハリウッド・バビロン』的な舞台裏暴露映画を観てみたいと思った(ジュディだけじゃなくマンチキン関連のゴシップネタもめちゃくちゃあるので)。『キャリー』の「おいっちに!おいっちに!」なバカみたいな体操がフェティッシュな映画ファンなので、ちゃんと過去ジュディがダンス・レッスンで「おいっちに!おいっちに!」とバカみたいな振り付けをしていたのは加点対象ですね。ロンドン公演でジュディの世話役をしていたロザリン・ワイルダーさんを演じた女優(ジェシー・バックリー。脳内メモ済み)がめちゃくちゃ綺麗な人で、ちょろいので普通にファンになってしまったし、ロザリンさんがジュディにめちゃくちゃ困り果てつつ陰ながら支えるので、世話役・マネージャー奮闘映画としても素晴らしい。ダンブルドアことマイケル・ガンボンは全然仕事してねーなと感じた。個人的に大変印象に残ったのは、ジュディと子どもたちがクローゼットに入るシーン(ひとりで先に入ったレニー・ゼルウィガーの、暗闇で哀しみを噛みしめる表情も素晴らしい)と、ロンドンの赤い電話ボックスからジュディが娘へ電話を掛けるシーンが対比されているのがとても良かった。別れの象徴のように描かれる同じ箱が、希望と絶望のコントラストで結ばれる構成には涙が出た。その数日後にジュディが棺桶という「箱」に入ることを認知している観客からすると、より一層切ない。こうしてロケーションやアイテムで物事や感情を繋げていく行為がぼくは好きなので、地味ながら概ね楽しい映画だった。ただし、なにがなんでも、あのラストの幕切れは酷すぎる。豪速で欺瞞と偽善にギアチェンジされて、一気に興醒めした。あんなウソのハッピーエンド、ジュディのことを想えば想うほど失礼だよ。加えて、あのゲイマリッジの二人のキャラクターには文句は無いけれど、フィナーレの説得力を保持するだけの演技力を持ったキャスティングをしなくてはならないはずだろう。あの程度の芝居では、レニーのドヤ演技とは全く釣り合わず、映画は宙に浮いたまま何処にも着地せずに、なんとなく終わってしまう。ダメだそんなの。たとえば『ダークナイト』における例の客船爆破選択シークエンスも、乗客を演じた俳優の芝居に全く説得力が無さすぎて、ぼくは未だにピンときていない。脇役にこそ、主要登場人物と張れるだけの「上手い」俳優をキャスティングしてほしい。というのが、近年のハリウッド映画へ抱くぼくの小さなシュプレヒコールなのですが。

f:id:IllmaticXanadu:20200517125809j:imageオズの魔法使』(1939年/ヴィクター・フレミング)

 U-NEXTにて。何度観てもオールタイムベストの大傑作。何もかもが健全に狂っていて最高。セピアカラーからテクニカラーの景色がひろがる瞬間の絶対的多幸感ヤバすぎる。改めて観たら、やっぱりデヴィッド・リンチってこの映画からの影響力莫大なのだなと感じた。『ワイルド・アット・ハート』、と言うか『マルホランド・ドライブ』じゃん。トト名犬すぎる。マンチキンランド楽しすぎる。西の悪い魔女の手下の空飛ぶサルが一斉に飛行するシーンの悪夢感ヤバい。北の良い魔女ことグリンダ、いつ見てもアホで自分勝手で嫌なオンナで可愛いな。ライオンは『CATS』観た後だと、あのCGではなく自在に揺れ動く尻尾とかに感動して、なんだか胸いっぱいになる。「やっぱりおうちがいちばんだわ!」とか、田舎出身者としては、いやカンザスなんか嫌に決まってるだろ、ドロシーの悪夢は続くんだなあとひねくれ思考が働いてしまう。エメラルドシティのショットごとに体毛の色が変わる馬、地味にすごかったな。「どれだけ愛するかではなくて、どれだけ人から愛されるかが大事なのだ」ウーン、泣ける。

f:id:IllmaticXanadu:20200528021502p:plainバッファロー'66』(1998年/ヴィンセント・ギャロ)

U-NEXTにて。オシャレ版『タクシードライバー』。ダメ男と小太りのぽちゃ娘の拉致から始まる恋愛という設定からしてヘンテコなのだけれど、やっぱり面白い。ヴィンセント・ギャロのナルシズムが(良い意味で)キモくて可愛くて、アーティスティックな作風にてらいが無いのも、今になればとても好感が持てる。この作品自体がぼくにとって、なんとなく微妙な位置・距離にあった感覚というのは、たとえば「『バッファロー'66』が好きな自分=オシャレ」という、映画をファッションとして機能させたがるバカを生んだことが多分にあったと思われる(よしんば『アメリ』やウェス・アンダーソンやあらゆるミニシアター系の観客にもそういう層がいることは伺えるけれど、作品単体を純粋に愛している個人を否定しているつもりは微塵もない)。そういう勘違い錯覚幻想ファックオフ野郎とは映画の話なんか一瞬もしたくないのだけれど、とは言え、ひねくれたルサンチマンを忘却して久々に観た本作は、ちゃんと面白かったし好きな映画だった。カメラ位置とかコンテとか、シネフィルに怒られそうな小津オマージュがたくさんあるのも楽しかったし、プログレ音楽の選曲や鳴らし方・魅せ方もいちいち痒いところに手が届く気持ち良さがある。何よりも、既存のコードとは異なるコードで映画を作ってやる、というヴィンセント・ギャロのオリジナル(俺ジナル)なクリエイティビティは、今なお色褪せていない。配役がユニークで、チョイ役で出演しているミッキー・ロークロザンナ・アークエットが、チョイ役ゆえに印象深い(どっちも嫌な役)。ベン・ギャザラとアンジェリカ・ヒューストンが演じる夫婦がずっと頭おかしくて最高。居心地の悪い食卓シーン(特に家族との会食)がある映画は、たとえば『悪魔のいけにえ』とか『ヘレディタリー』然り、それだけで偉い。白眉なのはクリスティーナ・リッチ。あの『アダムス・ファミリー』のウェンズデーちゃん役で世界中のロリコンの症状を発症させた彼女が、ぽちゃぽちゃキュートにまたもや我々を誘惑する。クリスティーナ・リッチは本当に大好きな女優のひとりで、『キャスパー』や『スリーピー・ホロウ』を観てきた自分にとって、文字通り天使のような存在感がある。ボウリング場で彼女が突然、キング・クリムゾンの『Moon Child』に合わせてタップダンスを踊るシーンは、ベタ(とか言うヤツはブッ殺すぞ)なのだけれど大好きすぎる。このタップダンスのシーンは、物語には一ミリも関与しない。映画には「あってもなくてもいいシーン」というものがある。それは、物語の文脈とは切り離された、関係のない時間や空間が切り取られたシーンだ。そして逆説的に、それらのシーンは「あった方がいいシーン」として忘れ去ることができないものがほとんだったりする。映画とは、過去でも未来でも現在でもない、ただ「スクリーンにしか存在しない時間」というものを描くことができるのだ。

f:id:IllmaticXanadu:20200422033557j:plain『午後の網目』(1943年/マヤ・デレン)
DVDにて。何度観てもオールタイムベストの大傑作。なにもかもが悪夢的フェティッシュに満ちていて素晴らしい。デヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』は、実質この映画の3時間版リメイクです。 

f:id:IllmaticXanadu:20200528022221j:plainアイズ・ワイド・シャット』(1999年/スタンリー・キューブリック)

U-NEXTにて。何度観てもオールタイムベストの大傑作。どこまでも現実で、どこまでも夢。目を開いて見る悪夢と、目を閉じている夫婦のアクチュアリティ。裸やセックスというよりは、ニコール・キッドマンがトイレで排泄しているシーンが冒頭にある通り、これは「排泄すること/排泄できないことの悦びとおぞましさ」についての映画だといえる。加えて、抑圧と解放の映画。人間はあらゆる意味で「排泄」をする生き物だ。キューブリックの映画には必ずと言っていいほどトイレ(バスルーム)が登場するけれど、そこには人間の原初的な本質があることを彼は知っている。キューブリックが作品を通して生涯遂行していたことは、人間の本質を暴いてやりたいという衝動に他ならない。友人や奥さんまでもが性的欲求に満ちていて、自分の周囲がセックスに溢れていることを知ったトム・クルーズは、両手をバシン!と叩いて「ちくしょう!俺だってセックスしてやる!」と夜の街を彷徨い歩く。性のオデッセイ。セックス版『2001年宇宙の旅』。フロイト的な夢の論理で紡がれる挿話の数々は、やがて朝を迎えると同時に消えてゆく。まるで、昨日見た夢の内容を忘れてしまうかのように。夫婦のベッドルームには、夜の会話と朝焼けの会話があることをキューブリックもまた知っている。しかし、どんな問題に直面しようとも、夫婦がするべきことはただ一つ。「ファック」。とりあえず喧嘩したらセックスしておけ、という親戚のエロオヤジのような結論になるのがすごいし、それが遺作なのがすごいし、と言うか遺作が乱行パーティのハナシってマジで最高すぎるのだが。ぼくは、もし自分が死ぬ直前に観る映画を一本選ぶとすれば、この『アイズ・ワイド・シャット』だと妄想している。ニコール・キッドマンに「ファック」と言われて生き絶えるなんて、それこそ、人生の本質を表しているようで、とても素敵じゃありませんか。

f:id:IllmaticXanadu:20200529024417j:plainファントム・オブ・パラダイス』(1974年/ブライアン・デ・パルマ)

Blu-rayにて。いつどんな時に何度観ても、俺の人生で最高の映画!オールタイムベストワン!「何の取り柄もなく/人にも好かれないなら/死んじまえ/悪い事は言わない/生きたところで負け犬/死ねば音楽ぐらいは残る/お前が死ねばみんな喜ぶ/ダラダラといつまでも生き続けるより/思いきりよく燃え尽きよう」何も残さず凡庸に生きるなら、何かを残すために燃え尽きようぜ。早く燃え尽きられる日常が戻って来ますように!!