20世紀ゲネラールプローベ

電影永年私財法を発布するべくゲネプロ中の備忘録。

最近観た映画の備忘録#4(「人生は祭りだ、共に生きよう」と投げかけるほどの人生が、こうしてしばらく喪われつつある燃えるゴミのような世界で、燃えるゴミのような我々は、燃えるゴミのような映画を観ること、そして書くことによって、記録を記憶へと変換させ得て、つまり芸術に救われながら豊かさを噛み締めた、そのとき、わたし自身も、燃えるゴミから誰かが忘れ去った燃えない宝物へと変貌できる、そしてあなたに投げかけられる「人生は祭りだ、共に生きよう」)

f:id:IllmaticXanadu:20200517140005j:image8 1/2』(1963年/フェデリコ・フェリーニ)

U-NEXTにて。何度観てもオールタイムベストの大傑作。こうして改めて見返してみると、現在自分が好きな映画や監督たちとの親和性が極めて高く、あらゆる芸術の祖たる存在であることを意識する。たとえば、『オール・ザット・ジャズ』、『スターダスト・メモリー』、『仮面/ペルソナ』、『TAKESHIS'』、『未来世紀ブラジル』、『鏡』、『風立ちぬ』、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』、『脳内ニューヨーク』、『バードマン』、『マルホランド・ドライブ』、『アメリカの夜』、『気狂いピエロ』……すべて、本作が存在し得なければ産声をあげることがなかったのかもしれないと思うと寒気がする。映画史は星座を繋げるようにして影響し合い、決して単体では成立していない。そのマッピングパラダイムシフトを起こす作品というのは必ずあって、『8 1/2』とはまさに、新たな地図を拡張させるための大事件だったと感じる。逆に言えば、所謂「よくわからない」とされている映画群は、本作さえ履修しておけば嚙んで含めるが如くスルスルと理解でき、同時に楽しめるはずだ(よしんば、岩切一空監督の『花に嵐』や『聖なるもの』が「よくわからなかった」観客は、まずは本作を観てみましょう)。構成は勿論のこと、構図や照明など、どの場面の映像も美しすぎて至福。おしゃれでかっこよくてエロくてバカみたいでおそろしい。映画って自由で最高だ。世界一眼鏡が似合う女優、アヌーク・エーメ。我が愛しのクラウディア・カルディナーレは、実はちょびっとしか出演していないにも関わらず、グイドも映画も、すべてを救済する。まさにミューズ、愛しのCC。それにしても、マルチェロ・マストロヤンニって本当に嫌味のない、めちゃくちゃいい俳優だよなあ。

f:id:IllmaticXanadu:20200517140140j:imageムーラン・ルージュ』(2001年/バズ・ラーマン)

U-NEXTにて。チャカチャカ高速カッティングが賛否両論のバズ・ラーマンだけれど、ぼくは「アゲ感」を重視した映画はすべからく好きなので、いえーい!どどーん!じゃーん!やっぴー!という擬音がちゃんと似合う本作も大いにフェイヴァリット。ガキの頃にミュージカル好きの母親と映画館で観て、その時は「公爵がかわいいなあ」くらいの印象で、いや当然「ニコール・キッドマン爆可愛いなあ」とも思いつつ(序盤で何度も「アウッ!アウッ!」と声出すところ最高)、既存の使用楽曲は全然知らなかったのだけれど、今になって聴けば知らない楽曲は一曲もないという、洋楽ファンはガチ泣き爆アゲのサウンドトラックで十二分に最高。久々に観たらユアン・マクレガー歌唱のエルトン・ジョン"YOUR SONG"がエモすぎて泣いてしまった。他にも、ポリス"Roxanne"のタンゴに合わせた激しいカットバックだったり、公爵とジドラーのコントみたいなマドンナ"Like A Virgin"が可愛かったり、もうここしかないいい!というタイミングでクイーン"The Show Must Go On"を高らかに歌い上げる終盤だったり、ミュージカル映画として満遍なく楽しかった。幼い頃からキャバレーやバーレスクへのフェティシュとリスペクトと憧れがある人間なので(もし自分が億万長者だったら、映画なんか作らずにキャバレーのオーナーになって死ぬまで楽しく経営する)、そういう意味でも「普通に行きてぇー、最高ー」という多幸感すらある。映像もほとんどサイケデリックなほどに色鮮やかで、衣裳や美術も抜群にゴージャス、映画が喜んでおるなーという高揚感でみなぎっている。まさに豪華絢爛。そう、ミュージカル映画なんて、豪華絢爛な世界で多幸感に身を委ねて歌って踊ってさえしてくれれば、もうそれでいい。たとえば、ここで比べてしまうのは野暮かもしれないけれど、同じミュージカル映画として『ラ・ラ・ランド』が備えていなかったと思うのは、こういった「過剰な」ゴージャスさ、豪華絢爛さだ。『ラ・ラ・ランド』がどんなにテクニカラーオマージュでカラフルを装っても、ぼくにとってはまだまだ足りない。画面いっぱいを埋め尽くすゴージャス感が、あの作品のパラノイア的な暗い構図の中からは溢れ出ていない。ワンカット長回し重視のカメラワークよりも、瞬きする間に過ぎ去ってしまう、記憶すらできない刹那的なHIGHを愛してしまう。浴びさせてほしいのだ。過剰さを。バカみたいに大金を注ぎ込んだゴージャスなミュージカル映画に、バカみたいにいえーい!と興奮し続けたい。ところで『ムーラン・ルージュ』劇中でカイリー・ミノーグ演じる緑の妖精さんトリップシーンは超超超最高である、ということは今後も強く述べていきたい。

f:id:IllmaticXanadu:20200520043339j:image『NINE』(2009年/ロブ・マーシャル)

U-NEXTにて。我が愛しの『8 1/2』(のブロードウェイ舞台版)のミュージカルリメイクであり、アメリカ人シェフが作ったトラットリア。つまりは、紛うことなき粗悪品でしかないのだけれど、本場トラットリアよりも時たまジャンクフードが食べたくなる愚かなぼくにとって、これはこれで残さず食べる。とは言え、ジャンクフードというよりはイタリアン・ランチ味のキャンディーみたいな劣等ぶりで、ハッキリ言って不味いのだけれど、なんかね、珍品で好きなのね、この映画。すごい珍品だと思う。すなわち、めちゃくちゃチャーミングな魅力がしっかりとある。チャーミングな粗悪品。ということで、ぼくは劇場でオバサマたちに囲まれながら鑑賞して、その後も結構な回数見直しているくらいにはこの映画が可愛くて好きだ。確かサントラも買っていたはず。だからフェリーニファナティックなシネフィルたちが「こんなのただのMVじゃん、しかもミュージカルシーンと非ミュージカルシーンをなんの美学もなしにカットバックしやがって、リズム感ねえのかよ、フェリーニに土下座したって許されないからな」と罵詈雑言に貶すほどに、この映画には移入も嫌悪もしていない。監督のロブ・マーシャルは大嫌いだったけれど、たぶん不器用なだけだからそんなに嫌わなくてもいいかな……と、最近は温厚なスタンスで迎えている。でも、ロブ・マーシャルがマジで監督として凡庸で、加えて演出力が乏しいことは、本作に招集された女優たちの芝居を見れば一目瞭然だ。本家『8 1/2』であんなにも魅力的だったキャラクターたちは、書き割りのような棒立ちでロボットのように台詞を吐き、何一つとして予定調和からはみ出さない。映画オリジナルキャラのケイト・ハドソンなんて、彼女が鏡に映るラストカット、なんであんな不細工に撮ってしまうんだろう、酷すぎる。ゴールディ・ホーンの娘だぞおいバカ。極め付けは『8 1/2』で僅か数分しか出ていないにも関わらずグイドを救済する女神、クラウディア・カルディナーレを、ロブ・マーシャルニコール・キッドマンに全然「着衣」させない。さりとて、女優たちに罪は全くない。人物を描き込もうとしなかった、描き切らなかった監督と、粗末な脚本を断罪する。このオールスターキャスト7人の女優たちで、よしんば監督がペドロ・アルモドバルだったら、どれだけ傑作になっていただろうかと映画ファンなので夢想する(ペネロッペーをメインにするだろうな)。で、こんなに文句を垂れつつ、でも好きなんです。というか、ぼくはフランソワ・オゾンの『8人の女たち』とかが好きな人間なので、女優さんが吹き替えなしで歌って踊ってくれていれば、結局楽しくなってしまう馬鹿野郎だ。楽曲はとてもいい。ペネロッペーはそんなポーズまでしてくれるんですかというハレンチなダンスで、本人も楽しそうだったし可愛かった。唯一の現役歌手・ファーギーは見事なサラギーナっぷり(太っちょぶり)と歌唱力を発揮していて、彼女の歌う"Be Italian"は、砂を使ったエキゾチックな振り付けも相まって圧巻だった。キャラとしては残念だったケイト・ハドソンも、彼女がノリノリで歌う"Cinema Italiano"は超楽しい(だけど予告編で使われていたバージョンと本編で流れているバージョンはテイクが異なっている……予告編のテイクの方がいいのに……ロブ・マーシャルよ……)。特に今回久しぶりに観て、グイドの妻・ルイザを演じるマリオン・コティヤールが歌う二曲"My Husband Makes Movies"と"Take It All"が個人的には好きだった。前者は、ほとんど舞台照明のようなライティングの中で、夢と狂気の世界を生きる映画監督の妻としての心の叫びがエモーショナルに歌い上げられる。後者は打って変わって、スケベな旦那に堪忍袋の尾が切れた奥さんがブチ切れて、鬼の形相でストリップをするという恐ろしくて美しい曲。『ムーラン・ルージュ』の感想でも記した通り、ぼくはキャバレーやバーレスク的なものへの憧れがあるので、当然、映画にストリップシーンが出てきたら加点なわけです。って何言ってんだ自分……。そういえば、俳優業は引退すると宣言していたくせに、美女と共演できる本作にはちゃっかりと出演したダニエル・デイ=ルイスは、そういうスケベさと色気とチャーミングさが、グイドにぴったりだったとは思う。

f:id:IllmaticXanadu:20200518162420p:plain『その夜の妻』(1930年/小津安二郎)

U-NEXTにて。NOTローアングル・NOTタタミで挑む小津流サイレント・フィルム・ノワール。とは言え、足元を映したローアングルはあるっちゃあるのだけれど、もうこれはほとんどハリウッドのサイレント映画そのものに近い。洗練された横移動ショットの美しさや、手前の対象物による豊かな奥行き表現、きっちりノワールやりまっせと明暗鮮やかな照明、そして、執拗なまでに完璧な動きと構図で捉えられたクローズアップ……す、すごすぎる。当たり前に小津はすごすぎるし、超絶モダンでかっけー。帽子を被る、というアクションによって事態が展開したり、拳銃所有の瞬間をぐいーんとトラックバックすることで形勢逆転を表したり(何度かある決定的瞬間におけるT.B演出がめちゃエモい)、配置された小道具それぞれが物語を動かしていく躍動感もすごい。たとえば、帰り際の医者が鞄を無造作に置くブレッソン的な手のヨリ、からの字幕、からの二回振り返る医者のアクション、からのドアを開けて見送る妻のお辞儀でアクション繋ぎ、からの後々反復されるドアフレームに納まった妻の正面ショットと階段を下りる医者の切り返し、からのドアを閉める妻の動作でアクション繋ぎ、からのポットで珈琲を注ぐヨリ、からの砂糖瓶の中のスプーンがキラーンと光る!なんていう運動の連鎖が、全く飽きさせることなく観客を物語に移入させてしまう。敢えてのノワールオマージュとは言え、この現代的なリズム感覚、TikTokとかやってるティーンの方にも体感してもらいたいなあ(TikTokってまだ流行っているんですか)。ぼくが今更ここで何かを書くまでもなく、小津が撮るブツ撮りや実景はすごすぎる。ショットそのものの構図の美しさや長さの的確さ以前に、どの箇所に配置するのか、挿入するのか、そういうタイミングがドンピシャすぎてもんどりうつ。ソン・ガンホに見える瞬間があるハンサム・岡田時彦(我が愛しの岡田茉莉子嬢のパパ)、顔はほとんどジョシュ・ブローリンで緊張感と共に最終的には哀愁で泣かせる刑事役・山本冬鄕、そして凛とした八雲恵美子の美しき勇姿、二丁拳銃と着物!小津はかっこいい!

f:id:IllmaticXanadu:20200519185250j:plainヒッチコックトリュフォー』(2015年/ケント・ジョーンズ)

U-NEXTにて。めちゃくちゃ勇気をいただきました、ありがとうございます。本編でオリヴィエ・アサイヤスが語っている通り、『映画術』とはトリュフォーが作った「映画」の一本である。インタビューを試みるド緊張のトリュフォーの気合の入れっぷりは、周到で入念な準備に到るまで、まるで新作映画を撮る映画監督の姿そのものだ。だから名著や必読本というよりも、『映画術』自体がトリュフォー監督による必見の名画のひとつなのだと言ってしまおう。世代も作風も異なる両者が、互いを尊重しながら行われる世紀のインタビューは、やはり音声と写真が加わることによって、活字以上にスリリングで感動的だ。ゆったりとユーモアを交えて鋭い意見を飛ばすヒッチコックは、ほとんどゴッドファーザーのような風格。そんな父の目を真っ直ぐに見つめて、てらいなく質問を投げかけるトリュフォーの純真さ。膨大な量のヒッチコック・フィルモグラフィが引用されて、その映像のどれもが当たり前のように素晴らしく、ヒッチコック作品なんて一本も見たことがないようなビギナーにとっても、入門編のような楽しさがあると思う。「サイレント映画こそ映画の言語だ。映画に音は必要なかった」と語るヒッチコックに、トリュフォーくんがウンウンと頷く。「ぼくが撮った『大人は判ってくれない』にも、ちゃんとサスペンスを生む視線の交錯があってですね……」「どんなシーンだい?詳しく」「かくかくしかじか……」「ほーう、台詞が無かったほうが良かったな」「てへへ!」なんだこの可愛いやり取り!いやしかし、ヒッチコックの言葉はどれも背中を押してくれるな。ということで、本作には背中を押されたヒッチコック大好き監督たちが10人出てきて、それぞれが熱くヒッチコックのすごさを語り尽くす構成となっている。このように、当時の関係者ではなく現役の映画監督へのインタビューが挿入されているのが興味深い。なぜなら、皆ヒッチコックのことを語っていながらも、実のところ自らの作家性を語り直している、という構成になっているから。『めまい』オマージュの『ゴーン・ガール』を撮ったフィンチャーが「『めまい』って変態映画だよな。美しい変態だけど」と話しているのも面白い。ピーター・ボグダノヴィッチ、一瞬ウィリアム・フリードキン?と思った。キヨシ、ニヤニヤしすぎ。後半でやっぱり『めまい』と『サイコ』の論考に行き着き、結論どっちも超スゲー映画と皆が煽りまくるのも楽しい。ぼくは『めまい』がオールタイムベストの変態なのだけれど、概ねこのドキュメンタリーで指摘されている事柄には納得できた。『めまい』には急速に突き進むストーリーテリングの巧みさは無くても、夢の中をさまよい続けているかのような、おぞましさと美しさが真空パックされている。『めまい』は失敗作なんかじゃない。結局、映画は「観客」にどう楽しんでもらえて、どう受け止めてもらえて、どう語られていくかが最も大事なのかもしれない。ヒッチコックを語る本作を観て、誰よりも大衆や観客を意識し続けた「作家」たるヒッチコックの高邁さを改めて感じた。

f:id:IllmaticXanadu:20200519201852j:plain『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールトリュフォー』(2010年/エマニュエル・ローラン)

U-NEXTにて。めちゃくちゃ勇気をいただきました、ありがとうございます。シネフィルぶってカッコつけたいわけではなくて、やっぱりぼくはゴダールトリュフォーも、二人のことがあまりにも大好きだ。この二人はとにかく、伝統とか権威とか、あらゆるものとの「闘争」をやめなかったし、あらゆるものから「逃走」することもやめなかった。闘いながら自由に呼吸すること、それがヌーヴェルヴァーグであり、ゴダールトリュフォーだ。本作はゴダールトリュフォーの邂逅から、やがての決別までを膨大な映像や音声と共に振り返っていく。若い頃のゴダールがまんま菊地成孔みたいで、というか菊地成孔ゴダール学部卒なファナティックなわけだけれど、人間、好きな人に自然と似てくるものだな。先にトリュフォーがカンヌに行っちゃって、ゴダールがシネフィル仲間に「俺は文無しだしめちゃくちゃ焦ってるし、ってか俺だって映画撮りたいし、しかもトリュフォーの野郎俺のこと無視しやがったんだよ、ふざけんな」とボヤいていたというエピソードが愛おしい。その後、トリュフォーとシャブロルが、若い監督を探していたプロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールに「ゴダールってすげえ奴がいます」と推薦文書いてあげたの、いい話。フリッツ・ラングにインタビューするゴダールが「もう高齢ですよね」と訊ねると「恐竜並みだよね」と笑うラングが可愛い。続けてラングが「映画は若者のためにある」とつぶやくと「僕もそう思います!映画は若者のためにあるんです!」と嬉しそうなゴダールも可愛い。トリュフォーが死んだ時、ゴダールにアンヌ・マリー・ミエヴィルが言った「トリュフォー亡き今、あなたを守る人はいない。ヌーヴェルヴァーグの中で彼だけが、既存の映画界に受け入れられ、あなたの守護神になり得た」という言葉で映画が始まるのが切ない。政治的な思想へ突き進んだゴダールと、己の映画愛へ献身的な姿勢を崩さなかったトリュフォー五月革命を機に、異なる道を進む親友同士。『アメリカの夜』を批判するゴダールからトリュフォーへ届いた手紙には「こんな映画を作った君はウソつき野郎だ。これは悪口ではない。これは批評だ」と書かれている。それは、不器用で頭でっかちなゴダールの、彼なりの最後の叫びだったのかもしれない。トリュフォーはこの手紙におよそ20ページにも及ぶ反論を書いて、結局二人は再会することがなかった。共に協力し合って映画を作り続けた二人の、友情の終わり。共闘から別離へ。映画によって繋がった友情が、映画によって引き裂かれていく。ヌーヴェルヴァーグの息子として、二人の父親の間で揺れ動くジャン=ピエール・レオの視点が挿入されるのも素晴らしい。ゴダールトリュフォー、二人の人生それ自体が、果てしなく映画的であることを、このドキュメンタリーは克明に証明してみせた。 

f:id:IllmaticXanadu:20200429065924j:image『鞄を持った女』(1961年/ヴァレリオ・ズルリーニ)

U-NEXTにて。当たり前のようにクラウディア・カルディナーレが大好きなのだけれど、コレ初見。いきなり彼女の野ションから始まる辺り、「イタリア映画が始まった!」という感覚でワクワクしていたけれど、途中からぼんやりしていて眠ってしまっていた……いや、映画が決してつまらなかったわけではない。と、言い切れるほど記憶も出来ていないし曖昧なのだけれど……しかし、我が愛しのCCが主演だというのに寝落ちしてしまったというのは、誠に信じがたい愚行をやってのけたなと我ながら思う。自責の念。俺は愛するCCの映画で、寝たのだ。寝ちまったのだ。こんな感想、ちゃんと改めて再見してから書けばいいのだろうけれど、俺には、俺にはできないよ、そんなこと。愛しのCCに、ちゃんと懺悔しておきたい。ごめんなさい。君がちゃんと大きな鞄を持って怪訝そうな表情をしていたのは憶えています。重そうな鞄だった。俺は瞼が重かった。嗚呼、クラウディア。本当に申し訳ない。君はいつもと変わらず、ちゃんと、しっかり、べらぼうに美しかったよ。それだけは間違いなく、間違いようのない真実だ。愛する資格がないなんて言わないでおくれ、クラウディア。誰だって過ちは犯してしまうものだ。罪のない人間はいない。そこから何を反省して、どう生きていくかが大切じゃないか。だからクラウディア、俺は変わらずに、君へのアモーレを送るよ。送らせてくれ。正座して、また君に会いに行くよ、クラウディア……Ti amo,Claudia……Non posso vivere senza di te……Amore……

f:id:IllmaticXanadu:20200429101358j:imageファントム・オブ・パラダイス』(1974年/ブライアン・デ・パルマ)

Blu-rayにて。いつどんな時に何度観ても、俺の人生で最高の映画!オールタイムベストワン!「何の取り柄もなく/人にも好かれないなら/死んじまえ/悪い事は言わない/生きたところで負け犬/死ねば音楽ぐらいは残る/お前が死ねばみんな喜ぶ/ダラダラといつまでも生き続けるより/思いきりよく燃え尽きよう」何も残さず凡庸に生きるなら、何かを残すために燃え尽きようぜ。早く燃え尽きられる日常が戻って来ますように!!