20世紀ゲネラールプローベ

電影永年私財法を発布するべくゲネプロ中の備忘録。

最近観た映画の備忘録#1(緊急事態宣言には映画が合う、とか言っておかないとストレスフルで気が滅入るので、今こそ自宅映画鑑賞を崇めつつ、その記録を残しておこうと考えた、そんな趣旨による雑記)

f:id:IllmaticXanadu:20200415221548j:imageスター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019年/ J・ J・エイブラムス)

U-NEXT先行配信にて。劇場鑑賞以来なので約4ヶ月ぶりに観た。当時は、ものすごくおもしろいものを観たという躁の感情と、ものすごくつまらないものを観たという鬱の感情にアンビバレンスに引き裂かれていて、思考に逃げ道が無かったけれど、落ち着いて観たら普通に楽しかった。ここに於ける「落ち着いて観たら」とは、端的に言えば「これはスター・ウォーズサーガの完結編だ!」と、あまり期待しないで観るスタンスのことだ。それでも、スター・ウォーズなのだから雑多な感情が湧き上がることもまた事実だけれども「まあどうせまだまだ続くし……これもまた一つの通過点に過ぎないのだから……」という達観思想を持つことこそが、寿命を縮めない最善の策だろう。ぼくはディズニーが製作したシークエルは、もうカイロ・レンが素晴らしかったからお釣りは返ってきた、と楽天的に捉えている。カイロ・レンというか、マーケットにおけるアダム・ドライバーの発見、という意味では重要なシリーズだったと思う。カイロ・レンについては賛否両論の『最期のジェダイ』の時点で、やっぱりコイツが主役じゃん!厨二病!エモい!いぇーい!と高揚していたので、本作もカイロ・レンさえ良ければ及第点なのでは、くらいの気持ちで観てしまっていたけれど、やっぱりカイロ・レンは変わらず最高だった。アダム・ドライバーの演技力も相まって、クライマックス、アレを受け取った時のポーズや、レイちゃんとアレした後の「俺たち、やっちゃったねえ〜」な照れ笑いなど、悶絶級に可愛いかった。あとはパルパティーンが楽しそうにバカ悪役に徹していて、いつの世も映画の中で悪い人が悪いことを楽しそうにしているのは可愛いなあ、と癒された。ランドが元気そうだったのも救いだった。ただ、例えばレイア姫がアレした後に咆哮するチューバッカのショットを、すぐにヒキで捉えて、すぐに佇むカイロ・レンに移行しちゃう辺りが、キャラクターの悲壮感に寄り添ってあげられていないと思えてあまり好きになれない。あのようなシーンでヨリを徹底できないのが、J Jとルーカスの差だろう。もしくはスピルバーグとの差。ご丁寧にチューバッカの咆哮にリバーブを掛けてフェードアウトさせるのも、逆に観客の移入を阻害させる。めちゃくちゃ泣けるはずだったシーンなのに……(まあその後のカイロ・レンとあの人の会話できっちり泣くのだけれど)。しかしチューイにメダルを……のくだりでは涙腺決壊したわけで、やはりスター・ウォーズは観るたびに感情の起伏が激しく波打ってしまう。健康に悪いです。

f:id:IllmaticXanadu:20200420232345j:imageアルファヴィル』(1965年/ジャン=リュック・ゴダール)

Blu-rayにて。「ゴダールの中で一番好き」という作品がゴダールのフィルモグラフィにはいくつもある、という矛盾を孕みながら、本作に関する想いを堂々と宣言する。ゴダールの中で一番好き。現在のパリそのままでSF未来都市をやっちゃうという異化。すべての自主映画少年たちに贈りたい。ジッポライターを通信機と言い張って撮ってしまえば、それはもうジッポライターではない!『午後の網目』オマージュがあるので、そのための敢えてのモノクロか?と推測してしまうくらいにモノクロームが美しい。撮影も照明もショットもモノクロゴダール作品の中でも特にすごい。かっこいい。「愛してると言え!」「…………愛してる」が切なすぎる。当時のゴダールとアンナの過渡期な関係を想起して観ると、カメラ目線で愛の告白をするアンナ、それを撮るゴダールの姿、切なすぎる。ってかこのシーンはまんま『ブレードランナー』にパクられたわけだ。ブレランも「未来はやって来ずに近未来だけが続く」というポストモダンであり、雨の日に歌舞伎町を傘差して歩けばそこはもうブレランの世界という、現代都市は未来なんだというセンス・オブ・ワンダーにめっぽう弱いのかもしれない。本作におけるノワール感マシマシのアンナの美しさは、陳腐な言葉で書き残せない。この同年に『気狂いピエロ』というすごさ。恋が完全に終わりを告げた年の二本。その二本こそ、愛する人を最も美しく撮れてしまっているという哀愁たるや。愛にしがみつきながら、愛を葬る。ぼくの中では本作と『気狂いピエロ』のアンナが、どのアンナよりも最もチャーミングで、哀しくて、エロティックで、健康的で、恐ろしくて、美しいと思います。

f:id:IllmaticXanadu:20200421214310j:image『CUBE』(1997年/ヴィンチェンゾ・ナタリ)

U-NEXTにて。中学生ぶりくらいに観た。ヴィンチェンゾ・ナタリは誰が何と言おうと、あの愛すべき『スプライス』が最高傑作だけれど、コレはコレで、アイデア一発の低予算ワンシチュエーション・スリラーを突き通す気概に満ちていて好き。というかこの手のハナシはやったもん勝ちで、先にやっちゃったやつが偉い。単純に役者の「顔」の選び方も最適で、こいつはこういうやつだろう、という観客の固定観念を徐々にひっくり返していく展開も楽しい。もはや人間それ自体が立方体のように様々な面から成っている、みたいな微妙な入れ子構造とでも言ってしまおうか。どのタイミングで謎を明らかにするかよりも、どの窮地でハプニングやアクシデントを投入するか、その手腕こそ最も評価したい。精神障害が疑われるカザン投入のタイミングなんか、観客全員が「あちゃー」と冷や汗を垂らすけれど、その「あちゃー」という感情こそが人間の負の側面を浮き彫りにさせる。「光を見上げる」というショットがちゃんとあるのも嬉しい。久々に観たら数学女子のレブンちゃん可愛かったですね。ちゃんと「メガネメガネ……」と手で探すくだりがあるのも信頼できる。ペシミストのワースは『ジョーカー』みたいだった。脱獄のプロのおじいちゃんが「お前ら油断すなよ」と言った刹那に酸ぶっかけられるの笑った。クソ野郎のクエンティンは、今回観ていたらアルコ&ピースの平子さんを、似ているというか想起したのだけれど、全国のアルピーファン同感いただけないでしょうか。

f:id:IllmaticXanadu:20200415221903j:imageブラック・スワン』(2010年/ダーレン・アロノフスキー)

U-NEXTにて。何回観てもナタポーがオナニーしていると横で母ちゃんが寝ていてギャッ!となるシーンが素晴らしい。間違いなく『レイジング・ケイン』における、昏睡状態の奥さんの前で不倫相手とキスしていたら奥さんの目がドドーンと見開いててカメラがガンガンガン!とズームしてギャッ!となるシーンのパクリなんだろうけど。本作はそんな感じで『反撥』だったり『回転』だったり『パーフェクトブルー』だったりと、数多のニューロティック・スリラーのモザイク画として完成されているのも映画ファンには楽しい。ミラ・クニスがザ・ビッチというフェロモン満々。一度でいいから騙されてみたいものです。ナタポーとレズるシーンもちゃんとエロくて最高。「家帰ってオナってこい!これは宿題だ!」とセクハラするヴァンサン・カッセルも終始楽しそうで良かった。あとクラブのシーンが『サスペリア』ミーツ・ギャスパー・ノエみたいに狂ってて、フレームごとでナタポーの顔がバケモノになっていたりするので、あまり健全な見方ではないけれど一時停止しながら確認したら楽しかった。

f:id:IllmaticXanadu:20200416180538j:imageどですかでん』(1970年/黒澤明)

U-NEXTにて。久しぶりに観たらオープニング・クレジットから六ちゃんのシークエンス終了までで「やさしすぎて」泣けた。悲哀のラプソディ。とは言え、貧困の中で紡がれる人の情も、一周回って、地獄の温度を肌身で感じているような恐ろしさすらある。ほとんどオムニバスというよりブニュエルの『自由の幻想』に近い作風だけれど、どの登場人物のエピソードも、それだけで一本の映画として物語られるくらいの厚みと魅力があるのが楽しい。同時に、当時の黒澤明の自滅/自殺願望を経て獲得した「芸術」と「人間」へのささやかな希望も真空パックされていて、やっぱり『夢』に一番近い。そりゃ売れないわ。『トラ・トラ・トラ!』の挫折を経て、日本映画の復興を目指して木下恵介市川崑小林正樹らと結成された四騎の会は、結局本作と小林の『化石』のみ。もっと観たかったし、木下・市川の監督作も拝みたかった。瞳孔開いた布びりびりおじさんを演じる芥川比呂志のシークエンスだけ、貧困と孤独によって狂い終わった人間を刻々と見つめていて、演出は野村芳太郎ですか?ってくらいホラーでめちゃくちゃ怖かった。フツーにトラウマ。

f:id:IllmaticXanadu:20200415222355j:image『HOUSE ハウス』(1977年/大林宣彦)

U-NEXTにて。追悼大林監督。悪魔的ヴィジョンすぎて続けて2回観た。キュートでファンシーであることと人体破壊を徹底することによって、映画のマジックから未だに解かれていない永遠のアヴァン・ポップ。ぼくは女友達が仲良くやっぴー!と楽しそうにはしゃいでいる映画は、それだけで100点差し上げるというくらい女友達映画が大好きなので、本作もずっとずっと楽しくて仕方がない。南田洋子のおばちゃまも踊ったり猫ちゃんポーズしたりあくびしたり楽しそうで可愛い。「こうやって若い皆さんがたくさん訪ねてくださったんですもの……よかったわ」の言い方で吹き出す(劇伴が一瞬消えるのも笑う)。猫がピアノにジャンプして上がったり下りたりするのを逆再生してニャンニャンとループするシーンがツボすぎて爆笑してしまいます。見るからにアホっぽい再婚相手を演じる鰐淵晴子の首のスカーフが必ず全シーンなびいているのも「映画最高!」というでたらめさで大好きだ。大林監督の訃報を受けて観ると、ラストの台詞がエモい……。「たとえ肉体が滅んでも、人はいつまでも誰かの心に残り、その人と共に生き続けている。愛の物語はいつまでも語り継がれていかなければならない。愛する人の生命を永遠に生き永らえさせるために。永遠の命を。失われることのない人の思い。たった一つの約束。それが愛」生涯クンフーちゃん推し。

f:id:IllmaticXanadu:20200415222352j:imageフォクシー・レディ』(1980年/エイドリアン・ライン)

DVDにて。我らがジョディ・フォスター圧勝かと思いきや、ランナウェイズのシェリー・カーリーの優勝。二人がベッドで友達のメガネちゃんの処女喪失を聞いて「大人になっちゃったネ……」とまどろむショットがヤバすぎた。展開が意外にも読めない。特に後半は少女が逢いたくない出来事が連発して、悪夢的で衝撃的な結末を迎えるので「エッ……!」と驚嘆しつつポカーンと取り残される余韻が怖くてヤバい。あの人が絶対にそんなことにはならないだろうとか、そんなバカみたいなことにはならないだろう、という因果律を破壊してくるショックがちゃんとあって、ゆえに実人生に近い。まあ、あのショックバリューな悪夢映画金字塔『ジェイコブス・ラダー』を撮ったエイドリアン・ラインの初監督作なので、頷けなくもない。当然、バッキバキに照明が決まっていて陰影が美しく、めちゃくちゃ『フラッシュダンス』への助走感があってそれもヤバい。『HOUSE』でも書いた通り、ぼくは女友達が仲良くやっぴー!していればもうそれだけで満足するくらいの変態なので、『フォクシー・レディ』も余裕で大好きだ。チャンネーたちが朝日を受けながらグースカ添い寝している姿や、その彼女たちの太ももやくびれを強調するカメラワークがどうしたって素晴らしく、もんどりうつ美しさで、この健康的エロな感覚は、流石はエイドリアン・ラインです、と口角が上がります。めちゃくちゃ『フラッシュ・ダンス』を見直したくなった。

f:id:IllmaticXanadu:20200416150217j:image『アンダルシアの犬』(1928年/ルイス・ブニュエル)

DVDにて。オールタイムベスト級に好きだし短いのでもう何度観たか分からないけれど、いつ観ても笑ってしまう。服の上から胸揉んでたら服が消えて「うひょー生チチだー」とよだれ垂らしながら揉み続けていたら徐々にケツになっていく、とか書いていてバカすぎる。女の脇毛が男の口に移動してドヤ顔したりするのもバカすぎる。ラスト砂浜にぶっ刺さってるのもバカすぎる。バカ映画クラシック。

f:id:IllmaticXanadu:20200416145359j:imageヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005年/デヴィッド・クローネンバーグ)

U-NEXTにて。クローネンバーグの映画なので当然セックスシーンがキモいし重要事項なわけだけれど、最初のコスプレセックスにおけるクンニリングスもキモいのだけれど、旦那の暴力性を目の当たりにして以降奥さんがそれを嫌悪しながらも興奮してきちゃうという、ほとんど暴力行為に近い2回目の階段でのセックスシーンが圧巻の感動。冒頭の長回しの不穏さだけでも頭が上がらない。家のセットが完璧に映画的な設計ですごすぎる。クローネンバーグのフィルモグラフィでは最も分かりやすく肩の力を抜いてエンタメしていた。イラク戦争からの帰還兵、というメタファーを通して観れば、こんな人間を大量生産してしまった事の恐ろしさと馬鹿馬鹿しさについて考えさせられる、つまり逆説的にピースフルを目指した暴力映画。最後の10分くらいしか出てないのに助演男優賞獲ったウィリアム・ハートも可愛かった。エド・ハリスはいつも通りに怖すぎ。

f:id:IllmaticXanadu:20200416164118j:image『愛と誠』(2012年/三池崇史)

U-NEXTにて。「純愛はバカ」という真実から徹頭徹尾逃げない姿勢が本当に素晴らしい。純愛もバカだし、幸せすぎて急に歌い出す人もバカという、ミュージカル映画へのアンチテーゼとメタが機能しているのも天才的な客観視点。バカを台詞ではなく人物やカメラの距離感で表現しているのも、映画屋・三池の技術力の高さを雄弁に語っている。最近の三池映画はどれもほとんど例外がないのだけれど、撮照の技術が高すぎるし、ショットは正解しか出さないのに、現象や脚本がバカすぎて乖離しているオリジナルな異化がすこぶる愛おしい。このような「おとなの悪ふざけ」「技術の無駄遣い」はもっと評価されていい。三池の中でもかなりフェイヴァリットの大好きな作品で、しかし『愛と誠』リアルタイム世代のぼくの両親は「最低の実写リメイク」と酷評していた。果たして、梶原一騎の世界観を現在の視点からメタ化して語り直す、その脚色こそ賛美しようじゃないですか。前半30分はほぼ5分おきくらいにバカミュージカルを展開していくが、中盤以降で母性へとベクトルが向かうと、これもまた良い。ぼくは母ちゃんがボロボロになってメソメソしていたりする映画に大変弱いので、クライマックスの踏切のシーンでは恥もなくびーびー泣いてしまった。そして最も特筆すべきトピックは、武井咲のコメディエンヌとしての才能開花である。彼女が歌唱する『あの素晴らしい愛をもう一度』の、あまりの馬鹿馬鹿しさと可愛らしさ。メイド服コスプレで嫌々ストリップさせられたり、縄で縛られて硫酸かけられそうになったり、三池が嫌がらせしたくなるのも分かる。斎藤工がサビを歌う直前で突然バシッとポーズを決めるたびに、ビクッ!と怯えてドン引きする武井咲なんて、本当にフェティッシュで素晴らしいです。

f:id:IllmaticXanadu:20200421213553j:imageファントム・オブ・パラダイス』(1974年/ブライアン・デ・パルマ)

Blu-rayにて。いつどんな時に何度観ても、俺の人生で最高の映画!オールタイムベストワン!「何の取り柄もなく/人にも好かれないなら/死んじまえ/悪い事は言わない/生きたところで負け犬/死ねば音楽ぐらいは残る/お前が死ねばみんな喜ぶ/ダラダラといつまでも生き続けるより/思いきりよく燃え尽きよう」何も残さず凡庸に生きるなら、何かを残すために燃え尽きようぜ。早く燃え尽きられる日常が戻って来ますように!!