20世紀ゲネラールプローベ

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何故、白石麻衣を「黒石さん」として召喚せず、悲劇の似合う美女として撮らないのか『闇金ウシジマくん Part3』(2016年/山口雅俊)雑感

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ファンと公言できるほどに『闇金ウシジマくん』シリーズが好きだ。原作漫画にせよテレビドラマにせよ、そして映画にせよ、どのエピソードも全くハズレが無いと断言できてしまうほどのクオリティが輝きを放っている。ウシジマくんは現代社会を生きる人々にとっての出逢いたくない「寅さん」であり、このシリーズは「人情悲劇」の傑作だと考えている。

 

特に、2013年に公開された『闇金ウシジマくんPart2』は、お世辞を抜きに高い完成度に到達している傑作であった。若手実力派俳優を筆頭としたキャストアンサンブルは絶妙であり、且つ群像劇として各々の「着地点」と「視点」の置かれ方が巧みかつ周到であったことも評価したい。人情悲劇の金字塔として、早くもマスターピースを叩き出してしまった快挙の感覚は未だに鮮烈で、プログラムピクチャーとして永遠に続けてほしいと願うほどだった。

 

さらに、2016年に放送されたテレビドラマのシーズン3では、原作エピソード中、最も映像化不可能との呼び声高かった「洗脳くん編」をドラマ化した。犯罪マニアで無くとも承知であろう「北九州監禁殺人事件」を下敷きとしたこのエピソードは、その事件を扱うこと自体がタブー視されているにも関わらず、一切のブレーキ無し、自主規制を放棄したハードコア描写にあっぱれと歓喜した。主人公を演じる光宗薫は、これがフィルムなら新人賞総なめの名演を見せて、今後の彼女の動向にまばゆい期待を抱いたのだった(ちなみに、同じ題材を脚色した園子温Netflixオリジナル映画『愛なき森で叫べ』よりも、このテレビシリーズを推す)。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161210102303j:imageそんなウシジマくんシリーズが終結する運びとなり、映画が二作連続上映、Part3とThe Finalと銘打たれた。ミーハーで恐縮だが、超期待していた。ただでさえ好きなシリーズの新作であるし、あのPart2と洗脳くん編を創造した布陣が、最後には一体如何なる傑作を作り上げるのか、と。

 

さて、『闇金ウシジマくんPart3』のカンソウなのだけれど、非常にガッカリした。

 

むしろ、箸休めとしても機能していない様子は許容範囲外で、崇高なシリーズにPart3が名を連ねるというだけで溜息が漏れてしまう。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161210102248j:image本作が従来のシリーズと異なるのは、物語的な構造の一切を関係なしに、あからさまに不細工な編集にある。「ファイナル」と並行して撮影されたという本作は、素人目から見ても、撮影スケジュール確保の乏しさが垣間見られる。それは例えば、明らかに必然性の感じられない長回しが異常な回数で多用されたり、一連のシークエンス内における「事務的な」カット割がただ羅列される、まるで作家性や職人性すら感じられない早撮り優先のショットが多すぎる。その為、映画のリズムは極端に崩壊し、画面設計の凡庸さも相まって、単調で「運動」が皆無な映像が露わになった。極めつけはMAにおける劇伴の添え方なんだが、これが学生映画でさえもう少し「意図」を明示するだろう不憫さで、シリーズを通してデフォルトとして鳴らされた音楽たちの壊滅的な使われ方に、怒りよりも戸惑いが生じてしまった。一体全体、何故ここまで「テキトウ」にできてしまうのか。あるいは、誰も完パケまで気づけなかったのか。同じ布陣とは思えない、思いたくない悲壮感に襲われた。ファンであるがゆえに。

 

このような問題点は今までのシリーズ作品には一度たりとも見受けられなかったし、先に書いてしまうが、前述した編集は「ファイナル」では改善、と言うより元通りに成っており、製作陣が如何に「ファイナル」に勢力を注いでいるのかが判明した。とは言え、それがPart3を「軽く」仕上げて良いという免罪符にはならない。大抵の観客は、1800円+120分間×2を支払うのだから。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161210102233j:imageメインストーリーの強度も風が吹けば吹き飛ぶレベルで、演者を責めるつもりはハナから無いものの、魅力的な人物像が一人も描かれないし、何なら描こうともしていない。あくまでも焦点は、「マネーゲーム」と称されるカタチを伴わないカネの増減に絞られており、それらを操作する、と見せかけて実のところ操作されている側の欲望も人情も共に薄っぺらく、もはや誰がどんな顛末を迎えようがこちらは痛くも痒くもない。

 

俺はビッグになってみせるんだ!」とほざく主人公は、さして葛藤も代償も払わず、勝手にカネを手にしては失い、勝手に成長したようなツラを見せる。ファックオフだ。そこに傍観者、ウシジマくんによる制裁も用意されておらず、一体この溜まり込んだフラストレーションはどこに発散すればいいのか唖然とした。「ファイナル」まで待てとジラすのなら、頼むからこんな映画は作らないでくれ。こんなことを観客に思わせるようなシリーズでは無かったはずなのに。

 

と、文句ばかりを書き連ねてしまったものの、前述した通り、役者陣は批判の対象とならないほど(この不細工な撮影と気味悪い脚本の上で)誠実に職務を全うしようとしている。もちろん、そこには「演出」が希薄な為に「芝居」と呼ばれる運動は無いのだけれど、それでも、印象深く器用な役者たちは輝いていた。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161210101719j:image中でも、オリエンタルラジオの藤森慎吾は眼球の動かし方からして巧く、彼のチャラ男というパーソナリティを知らずとも、この役柄の説得力は素晴らしい。生理的な瞬きを抑えて、あくまでも役柄として瞬きをする彼の技量はたかく評価されていい。もっと演技の仕事が増えればいいのにと願った。あと、この人モテるんだろうなと思った(笑) 演出側はもっと彼を、バスター・キートン並に縦横無尽に動かすべきだったと感じる。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161210101728j:image藤森慎吾と対峙する筧美和子は、マア、少々ぎこちない滑舌と立ち振る舞いなものの、それも含めてキャバクラ嬢の本音か建前か判断できないヘタウマな魅力があり、好印象を抱かせる。グラマラスな体型以前に、こういうキャスティングこそ見透かしてはならない。しかし、セックスシーンはしっかりと脱ぐべきだった……と言うのは野暮を承知で、藤森慎吾と筧美和子が配置された両者のシークエンスは、それが作品全体の強度を高めることには残念ながら連結していなくとも、忘れがたい余韻を残すだけ及第点だった。他にも、秒速で1億を稼ぐ浜野謙太や、吉本興業所属の月見草しんちゃんとAV女優のさくらゆらのカップルの異様さもまた特筆に値するが、論旨をシフトする。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161210102555j:imageさて、本作には乃木坂46のメンバーである白石麻衣がヒロインとして出演している。ぼくは乃木坂46を認知しているものの、全くもってコアなファンと自称できるような人間ではない。とは言え、ウシジマくんの世界に白石麻衣が参入するという情報を見聞きした際の期待は甚だしく大きかった。恐らく、映画というフィールドは彼女にとって、より一層、美が乱舞する空間としてふさわしいと予想していたからだ。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161212115018j:image彼女のような浮世離れした美しさが「運動」する姿、それも歌やダンスではない、キャメラに焼き付ける芝居という運動が、スクリーンに映えないわけが無かった。彼女のヴィジュアルからして、大袈裟ながらかなり稀有な女優だと思っていた。加えて、悲劇が似合う女優であると、あまりにも感覚的ではあるが確信に至っていた。Part2における門脇麦の不憫さ、Season3における光宗薫の悲壮感を、今度はあの白石麻衣が体現するとは、生きてて良かった、と真剣に思っていた。観る前までは。

 

結論、本作の白石麻衣は「あからさまな不正解」とされる演出が施されており、映画の不細工具合も相まって、個人的には劇中で最も不可思議な人物に成らざるを得なかった。あの美女を、よくぞここまで不恰好にレンズに収めやがったな、と、途方もなく哀しくなった。

 

こと此処で批判しているのは、白石麻衣の演技力に関する点ではない。そんなもの、彼女の職業はアイドルであって演技巧者では無いのだから、名演なんて賛美は必要ない。必要なのな、白石麻衣を「最も美しく撮る」という演出側のオブセッションだ。本作には、そういったオブセッションは皆無で、白石演じるヒロインは、主人公の青年を動かしている「ような」記号でしかない。飾りにもなっていない。さらに、ここ10年で最も無感動な接吻や、情事後の起床姿として汚いキャミソール姿を着用させる始末。何処までも空虚で、無意識で、まるでマネキン人形のような彼女は、正気とは思えないショットの渦で漂流し続ける。一体、なんだこの女は? 白石麻衣という磨き上げられた原石を、演出側はバービー人形と勘違いしていないか? 人情も、悲劇も、この女には無い。無いくせに、「有る」と言い張るキャラクターだ。やがて、僕はこのヒロインに対して腹が立ってきた。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161212115355j:image私見、あるいは知ったかぶりとして述べると、白石麻衣にはこんなレベルではない被写体としての存在感があり、誰しもがその運動に敗北宣言をし得る魅力があると信じている。端的に言えば、「顔」の良さである。「顔」の良さとは、決して美醜に限ったことでは無い。キャメラを通して拝見するだに、その目、口、眉、鼻、頬、顎、額、舌、歯と言った、各々のパーツが動き、ひしめき合う「運動神経」の高さを指している。次に「身体」だ。腕、脚、胸、腰、姿勢、長さ、幅、質感、およそ完璧な肉体美に対して、映画は何を映すべきか問われるはずだ。本作は何一つとして映していない。映しているつもりなだけで、本質的にはその一片も切り取られていない。

 

こうして、アイドルヲタクでも無い映画好きの端くれのぼくが、如何にして彼女を擁護、絶賛し得るのか。もしかして、単に面食いで好みってだけじゃね? ああ、面食いだよ。悪いか! しかしながら、白石麻衣は、悲劇によって追い込まれ、やがて哀しみながら、怒りを表明するべきだった。理由は、乃木坂46出演のバラエティ番組内に登場する、白石麻衣の別人格「黒石さん」を見ていたからである。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161211192013j:image黒石さんとは、白石麻衣のオルターエゴとして呼称されているキャラクターで、要するに「怒った白石麻衣」のことを指している。容姿端麗の彼女がひとたび眉間にシワを寄せると、その迫力は凄まじい磁力を帯び始める。普段の表情との差異によって、睨まれた者は怖気付く。同時に、「怒っているのに美しい」という差異も発生しており、睨まれた者はその怨念を心置きなく享受する準備が無意識に整ってしまう。だから、黒石さんはおそろしい。怨念を発散すればするほど、美麗さが増大するとは、美女にのみ許されたオブセッションだ。白石麻衣は自身の特異性を巧妙に発揮し、黒石さんを番組内で人気キャラクターとして召喚させる。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161211193303j:imageしたがって、ぼくは本作において「黒石さん」は必要であったと豪語したい。真っ白い素肌の彼女が、漆黒の闇に全身を染め上げる。闇の女。闇が似合う女。それこそが「映画」の女だ。もっとも、ホワイトの役割は本郷奏多が(その純白の肌も含めて)担っているので反復の必要はない。黒石さんと対峙する本郷奏多山田孝之の画を想像するだけで高揚する。本作における白石麻衣のショットが一つでも黒石さんならば、それだけで映画は豊かになるはずだったのに。「顔」そのものが憤怒と悲嘆で「戦場」と化すとき、ぼくらはその戦火の美しさとおぞましさを知るに至る。戦況が激しさを増すほど、彼女の眼差しは呪いとして研磨されていく。真っ白なスクリーンは女の哀しみと怨念によってドス暗くブラックアウトし、ぼくらはもう、彼女のあの「目」が一生忘れられなくなる。黒く塗れ。ローリング・ストーンズが叫んでいた通りだ。黒く塗れ。白石麻衣を、映画は黒く塗れ。

 

白石麻衣の現状の映画出演作は、本作、『劇場版BAD BOYS』、『あさひなぐ』、『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』の4本のみとなっている。端的に言って、なんという惨状だろうか。彼女がファムファタールを演じるフィルムノワールは、なぜ撮られていない?

 

f:id:IllmaticXanadu:20200305225351j:image『劇場版BAD BOYS』では、ぼくが『溺れるナイフ』で胸打たれた重岡大毅の恋人役なのだが、ここでは雨を伴う女として若干のディメンション・オブ・黒石さんを魅せており、まだ鑑賞に耐え得る。んが、まだまだ足りない!

 

f:id:IllmaticXanadu:20200305224243j:imageあさひなぐ』における、電車内の窓越しから白石麻衣を捉えたショットは未だに印象深い。直後、電車は右側へ進行して彼女は左側へフレームアウトする。いや、だから?と問われたら、困るな。当たり前に撮られた、ごくありふれた表現だけれど、これがよかったのだ。無表情をしっかりと美しく切り取り、切り取った直後に横へ移動しながら葬り去る、こういう画があっただけでも好印象なのだ。しかし、本作は伊藤万理華の最高傑作として君臨しており、黒石さんがスパーキングしたとは言いがたい。まだまだ足りんのだ!

 

f:id:IllmaticXanadu:20200305224248j:imageスマホを落としただけなのに2』は、恥ずかしながらまだ観ることができていない。大学の同級生がスタッフとして参加しているので、友情の証としていずれは観に行くつもりなのだけれど、スマホを落としただけで酷い目に遭う映画に、中々食指が動かない……観た方の感想によると、白石麻衣のタイツをズタズタに破いたり、身体を張ってレイプシーンに挑んでいるらしい。彼女の本気度が期待される。本作において、悲劇を纏ったヒロインとしての完成に至ったのかどうか、己の目で確かめたい。しかし、あらゆることはどうでもいいのだ。黒石さん。黒石さんさえスクリーンに映っていれば、もう他には何もいらないのだ。

 

f:id:IllmaticXanadu:20200305225321j:image2020年3月25日発売の25枚目シングルをもって、白石麻衣乃木坂46から卒業することを発表した。モデルとしても華々しく活躍している彼女が、特に卒業後において、映画というフィールドでどのように花開くのか、あるいは花散るのか、前者を期待しつつ、陰ながら応援したい。優秀な監督との邂逅が果たせますように。そして必ずや、黒石さんがスクリーンでぼくらを睨みつける日を夢見て。

 

ほぼ同時期に、欅坂46を脱退した平手友梨奈が、容易くスクリーンに祝福されてしまっている現代において、白石麻衣/黒石さんの歩みは、計らずも険しいものなのかもしれない。

 

f:id:IllmaticXanadu:20161211195253j:image余談。本作のPR番組として『さしめし』内でテレビ通話をする白石麻衣は、例え電波の影響で画面がフリーズしようが、そんな事象は屁でも無いほどに美しく静止していた。結果、本作のどのショットよりも、このスマートフォン内の静止画が美しいという痛烈な賛美を残して、この稿を閉じる。