20世紀ゲネラールプローベ

電影永年私財法を発布するべくゲネプロ中の備忘録。

菊地穂波氏との邂逅に関する(超訳としての)備忘録

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前回、排気口新作公演『怖くなるまで待っていて』に関する雑感を、映画ファンであり、演劇と手を繋いだことさえない僕がパッパラピーに書き散らかしたのですが、あろうことか、排気口主宰の菊地穂波氏から「直接お会いしたい」、それに付帯して「文章に感動した」との旨いただきまして、うわわー、そりゃあ新型ウイルスが流行る世の中だよと(笑)、ヤバいなーこりゃと頭をボリボリ(ボリボリ先生のイラストを無断転載しております、申し訳ございません、んが、愛ゆえにです。愛はいつの世も暴走するのです。暴走機関車なのです)掻いて、それとなく戸惑っておりました。

 

と、まずは前回の僕の長・駄・乱文をお読みいただき誠にありがとうございました(読んでねえオメエには言ってねえよTikTok見てろよバーカ!アレってまだ流行ってんの?)。今回の記事は、特別に前回のコンティニューとして機能してはいませんが、スピンオフではあるのかもしれません。ので、拝読ノ判断ハお任せ致します。しかし、あんなもの(そして当文章におけるこんなもの・笑)を読むよりも、遥かにツイフェミのツイートを読む方が楽しいはずです。

 

加えて、人様からテメェが書いた文章を褒められたことなんか一秒も無く(一度たりとも無い。だって駄文だから・笑。知己があり、親しければ親しいほど、だーれもなんにも言ってくれないのよ・笑)、褒められ慣れていないガキの僕は、褒められてヨカッタ!と安堵するはずもなく、困惑しつつ微笑みながら、菊地穂波、今回邂逅の場を設けていただいた小野カズマとの闘い(苦笑)に挑みました。

 

で、本エントリーは「約3時間の晩酌の記憶、その忘却を避けるためになるべく早く書き残しておく」というミッションが課せられている(誤字→課した、テメェで勝手に)ので、比較的、雷鳴の如きスピードでキーパンチできる口語体で記している次第です。したがって推敲もしていません。

 

また、僕は初対面の方と会うたびにソレを文章で書く、なんてレイピストではありません。アイツと会うとブログにされんじゃんー、キモーいと言いなさんな。しないから。今回だけだから(笑) ですからご容赦いただきつつ、遠慮なく会ってやってください。

 

とまあ、此処でエクスキューズしているのは建前でしかなく、だったら書くなよってハナシなんですが……端的に言って、これはひねくれに羅患した者としてのアゲインストなんですが、もうね、ヨシヨーシって褒められると、反発したくなっちゃうんですよ(笑)なっちゃう病なの。末期の。重ねて断言しておきますが、褒められ慣れてないから(笑)ケツの青いクソガキなんですよ、僕は。ホントに。

 

前回は文語体で(とは言え、あの時も自分のマスターベーションより短い時間で以下略)書いたわけですが、まああんな駄文(笑)の賛否はともかく、とりあえず今回は「なるべくつまらなく、醜く、道端の吐瀉物みたいに書いてやれーい」という気分で、たった今もLSD(注・ラムネ)キメながらキーパンチしております。褒められないようにね。いやあ、気分はまるでブコウスキー、もしくはバロウズですかなあ。テンションによってはバタイユが憑依して文章によって混血列島ごと犯してやんぞー!この島の性感帯はどこだー!トウキョウが感じるのか!いやさ古都キョウトが濡れんのか!なあ舞妓ハーーン!まいこはんヒーヒー!舞妓といえば、ツマブキサトシの嫁ってマイコだっけ舞妓だっけ?だーはっはっは!明日の天気予報デス、明日は関東地方で大量のカエルが降るでしょう、ハイ、映画『マグノリア』のネタバレでーす!ネタバレ最低だろ?るせーよ!見てねーのがワリィいんだよ!大量のカエルといえば『E.T.』にも出てきますよねーゲロゲロゲロっぴーが、あと『吸血の群れ』っちゅーカエルとかカメが人を殺すホラー映画があってねー、いやどうやってカエルとかカメが人間コロスんじゃいと人類総ツッコミしましたが、さて、なぜなら、ですから、しかし、お分かりいただけただろうか、ところで沖縄ではエナジードリンクが、しかもマツモトキヨシオリジナルのエナジー、あの気色悪いカラーリングが施された、あの忌々しいエナジーの原液が一日中降る見込みです、これもアベ政権の影響かしら、アベは言語機能を破壊するカリスマですから、やっぱオーウェンの『1984』を想起しちゃいますよねー、アベにスピンオフしちゃいましたが、徹夜上等ブラック社畜のリーマンの皆さん、あなた方が欲求する多量のカフェインは沖縄にて!霊長類は南へ!いってらっしゃいませ!国民の皆さん!今日も良い一日を!あ!朝食は納豆ですか!納豆の過剰摂取は肝機能を低下させるんですよ!健康でしかないものなんてこの世にはないですから!上戸彩さん!アンタ納豆スゲー食うキャラでしたよね!バラエティで言ってたね!納豆スゲー食うと上戸彩になれるんだってみんな洗脳されてましたよ!アンタに憧れて!納豆をスゲー食べまくったテラダココロくんは!今は腐ったものしか食べられません!ココロくん、好きな食べ物は?ココロいわく!カマンベールチーズ!だとよ!ココロにモッツアレラはまだ早いぜ!ははははははははははははははははは!……ね、悪いでしょ?悪文でしょ?ワルいんですよーオレは(笑)。

 

と、ここまでで既に長く、長文読めねえ症候群の現代人にとっての苦行なのやもしれませんが、もうこれ以上摂取したくねーという方が高い確率でいらっしゃると思われますので(笑)、ゲンコツされて廊下に立たされているつもりで若干コードを修正します(笑)


ここまでにおいて、過剰/僅かな拒否反応、つまり至って「健全」な反応を示された方は、これ以上はお読みになられないことを勧めます。きっと、此処はあなたのためのリビングルームではない。ここから先の文字列は、如何なる他意なく、「不健全」なユーザーたちにのみ捧げます。勿論、その彼らに、穂波さん、小野カズさん、あなた方は含まれている。僕自身も。そして「あなた」も。我々が確かに共鳴した、あの有意義な数時間を、我々の敵に共有するつもりは微塵も無い。コロナウイルスの体積よりも無い。つまりほとんどゼロ、である。オリンピックを待ちわびる恐ろしき猿たちに背を向けて、我々は、我々と、我々の同志たちにとっての、最善の武装を試みましょう。それでは、健全で正しい国民の皆さん、今日の日はさようなら。貴様らが発狂すると噂の、誤読と記憶違いの大海原を、俺は全裸で遊泳してみせるぜ。

 

<1>

 

1月31日午前1時50分頃。完全なる夜型の僕は毎夜の通り起きていて、ぼんやりと「コロナ怖えー」と震えていたのですが(嘘。今年は短編映画を撮りたくて、毎夜シコシコとプロットやら脚本やらを書いている、つもりなんだが、全然書けねー、煙草の吸殻だけが増えていく。まあ頑張ります)、そこに最高の男(文字通り)である小野カズマさんから連絡が入りました。小野カズさんからのメッセージは超訳しますが「主宰の穂波が感想を読んで感銘を受けており、直接感謝を伝えたい、今穂波と飲んでいます、来てくださる?」という主旨でした。僕はお二人が晩酌していた某所によく出没するので、よしんば某所にテメェがいたら合流しましょう、というノリだったわけですが、まあ、運が無いのね、バリバリ自宅だったのね(笑)しかし小野カズさんからのお誘いを、加えてあの排気口主宰の穂波さんが会いたいと仰っている、ってかオレの方が会いたいよ穂波チャン!(笑)と願望していた自分に、断る思考回路は滅、「行きます行きます!コロナウイルスにやられなければ30分で!もちろん行きます!ヤッタ!!」と返答し、チャリ乗って爆走したわけです(その某所と僕の自宅は自転車で約30分の距離)。

 

寒空の下(深夜のチャリえげつねー・笑)を走りながら「え、感想を読んで感銘、って、ナンデ?」と、皮肉抜きに、ガチで不思議な想いでした。なにせ素人の書いたカンソーなので、捉え方自体は各々読者に委託しますけれど、なぜ穂波さんがオレにカンメーするのさ?だってあの人はオレの何兆倍、いやさ何京倍も豊かでオリジナルな「ことば」を持っていらっしゃるのに。その「ことば」によって記された文章に誘引されて観劇したのに。その「ことば」を役者の肉体がジャストフィットに受け止め、体現していたからラブレター(恥)の代用としてカンソーを書いたのに。つまり穂波さんの「ことば」の前で、僕はピナ・バウシュの舞踏のように全身をくねらせながら、「降参~~」と白旗をスイングしている、のです。よしんば、テメェの乱文が主宰に褒められた、よって我が自意識に救済が訪れた、よって超気持ちいい、なんて感情も全くありません。だから結構、ソワソワしていたというか、「なんだかなあ」と頭上にクエスチョンが浮かびながら某所へ向かったのでした(昨年の誕生日までの僕は、どうしようもなくルサンチマン気質で、自己顕示欲が濃厚で、他者への怨念も強固な一種の病理的な精神状態にありましたが、誕生日から意識的にそれらを抹消、というか分裂症的な自己セラピーを通過して、今はほとんど自我を信じていません。無意識というものが最も楽しく、軽度の躁状態が続いています。つまり、超テキトーで、なんでも楽しけりゃそれでいいや、という性格になった。今もこの括弧内の文章を、なーんも考えないで打っている・笑)。

 

さて、某居酒屋にピットイン。小野カズさんと穂波さんが並んで座っていらっしゃいました。小野カズさんとは知己がありましたが、穂波さんとは正真正銘のファースト・コンタクトです。「うわー遅くなりましたー、はじめましてー」とご挨拶。した直後に「いやーマジで男なのかよー」と、オレの穂波チャン(笑・詳しくは前エントリー参照)が完全に幻想だったことに対する落胆と絶望(笑)をですね、やっぱり口にせずにはいられず、つい口走ってしまいました(対して穂波さん、「すみませーん」って・笑。いやほんとコッチがすみません・笑)。

 

「いやー遅くにありがとうございますー」と、御二方とも、極めて腰を低く接してくださり(因みに御二方は僕よりも年上です)、「ほんとにお会いさせたかったんですよースギさんと」と小野カズさん(もう一度書きますけれど、御二方は僕より年上です・笑)。


で、穂波さんなんですが、もうね、穂波さんの目の前の卓上に、空になった角ハイボールのジョッキが3杯ゴンゴンゴンって置いてあるんですよ(笑)瞳もトローンとしていて、結構出来上がってる感じだったんですよ(笑)あとジョッキの横にハイライトのメンソールね(笑)うおー、彼は紛れもなく排気口の菊地穂波だー、本人だー、ハイライトメンソ吸ってるもーん(笑)、やっばいなー、もう好きだなこの人(笑)ってサムズアップしてました。

 

それで、穂波さんがですね、いや何を仰られるのかなーと、「ことば」をお持ちの方ですから、アタシどんな美しい「ことば」責めに遭うのかしらって(笑)、怖いな怖いなあとビクついていたんですけれど。

 

彼は開口一番、こう言いました。「文章を読ませていただいたんですけど……めちゃくちゃ嬉しかったんですけど……そのお……ものすごく嫉妬しました」……嫉妬!!!僕は脊髄反射的に「ぎゃはははははははははは」と爆笑しました。以降、ずっと笑いが止まりませんでした。「とんでもないあははははは、おそれ多すぎますぬはははははははは」もうコロナ上等、口呼吸しまくり、爆笑しちゃって。だって絶対そんなこと言われないと思ってましたもん(笑)。菊地穂波がオレの文章に嫉妬???やっばいなー分かったコレ、ドッキリだ!そうじゃなきゃおかしいもん!そうじゃなきゃこの人おかしいもん(笑)。つぶさに考えて、そのジェラシーは間違っている!そりゃ間違っている人が好きって前回書いたけど(笑)そういうこっちゃないだろ!嫉妬する側は!客観的に見て!オレ!!じゃん!!!白旗振ってるのよコッチは!(笑)

 

「もう本当に文章が素晴らしくて。あんな文章は自分には書けないなあと」「ぶはははははははは何を仰りますか僕のはただの駄文でしかなくぎひひひひひひひひ穂波さんはあんなに素晴らしいことばであんなに素晴らしい演劇をお書きになっているじゃないですかあははははは、すみません、あの他意はありません、他意は全くないんですがちょっと笑いが止まらなくてぐふふふふふふ」「もちろん内容もものすごく嬉しかったんです。でも、もし劇をどんなに褒められていても、文章があそこまで良くなければ、僕は今日会おうとも思っていないはずです。あの文章で、あの内容を書かれていたことが、ああもう絶対に自分には無理だなと。僕、久しく人に嫉妬なんてしたことがないんですが、んもうめちゃくちゃに嫉妬してしまって!軽く体調悪くなるくらいにズシーンとあの文章に感動してしまって!んもう嫉妬したんですよ!」「だははははははははははははははははははは」「うんうん(小野カズさんの笑顔)」

 

というやり取りが30分ほど続きました。僕は(若干の)緊張が、穂波さんの言動によって急激に緩和され(笑)、もはや笑い袋になっていました(前述の通り、褒められて気持ち良かったからじゃないですよ。ただ楽しかったんです)。排気口の公演を観た、その瞬間から(念のためガチ、ですが)絶大なる信頼しか抱かなかった鬼才・菊地穂波その人は、その信頼の比重以上に、どうしようもなく愛おしい人でした。そりゃまあ、あんなに愛おしい役者たちを愛おしく演出できるのですから当然と言えば当然なんですが、でもですね、ここまで瞬間的な速度で信じられる余地しかない人物だとは思いませんでした。まーじで。僕への嫉妬云々に対してではないです。「嫉妬した」ということを、ちゃんと言ってくださる、ちゃんと悔しいィィ!って表情をしている(笑)、この人、もうそれだけで同志って感じでした。同志って書くの、ホント自分のような馬鹿が穂波さんに対しておこがましい限りなんですが。でもこういう出会いは、マジでいつだってこんなもんです。もう会って数秒話しただけで、感覚として察知できるじゃないですか。僕はテキトーで無責任なホラ吹き野郎ですから、他人の嘘とかお世辞とか、昔からすんごい敏感なタチであると自負しています。世辞しか言わねえ媚しか売らねえ、そういうプロテクト人間との談義(苦笑)はもうウンザリっす。だから自分は、一方的に信じちゃった人に対しては、絶対に正直にいようと努めています。で、そういった心理的なプロセスを通過/飛躍して、あ、分かりましたもう大丈夫です、オレ、一方的に信じますわ、うん、このひと「おんなじ」だ、ナイスシンパシー、ナイスグルーヴ、取り急ぎ乾杯といきましょう、チアーズ、という嗅覚が働き、文字通りに意気投合をクリアできたのが、穂波さんでした(野暮を承知だけど書きますね、小野カズさんアンタもだよ!・笑)。

 

「そのお、感想が書かれていたブログ、他の記事もぜんぶ読んでしまって」「ぬははははははははははははは!そりゃきっすいすねーあんな放置ブログ(ヒトのブログなんて、ティッシュに染み込んだ性液と同じじゃないスか〜・笑)」「いや、読まされてしまったんです。もうそこも嫉妬で……」「まーじで褒められてもなーんにも出ませんよ、僕は、ホント身から錆しか出ないんですからにゃはははははは」「スギさんの文章を色々と読んでいく中で、ああこの人、すっごいロマンティックな人だなあと思ったんですよ」「(爆笑)それはナイ、それだけはナイっすよ(笑)」「確固たるものがあると思ったんですね、思想とか、それが文章に出ているから」「だとてロマンティックとはあまりにも見当違いだと恐縮ながら訂正致します(笑) オレ、短絡的なテキトー人間です(笑)」「いやいや!ぜーったいロマンティックな人ですよ、スギさんは!だってロマンティックだもん!ぜーったい!」

 

ロマンティックは止まらない(笑) 人ってハイボール飲み過ぎるとロマンティックが止まらなくなるのね(笑)

 

とまあ、ここまで人様に褒められると(しかも僕より客観的に美しくオリジナルな言葉を持っちゃってる人から)、褒められたことないので(オレの賞罰欄は白紙ですからね・笑)、当たり前ですが全然気持ち良くならず(笑)、いやオレはアンタの方が幾分もロマンティックだと思ってるから!オレの方がマジ!ガチ!と後行攻撃を仕掛けることになるわけです、自然と。小野カズさんから見たら褒め合い合戦なわけで(笑)、そのお、酒は美味かったですか?(笑) でも本心ですからね、穂波さんがめっちゃ表現者としてすげーのは。ってか排気口がさ、ホントにすごかったから、それ以上でも以下でもないのですがね。

 

 「ほんと、僕もスギさんのような文章が書きたいです……」「そ、そ、その思考は明確に良からぬ方向に進んでますよ、闇しかないそこには、スラム街しか(笑) 僕の駄文は影響元からのパクリとエピゴーネンなんで(笑) インターネットは無法地帯だから好き勝手書いてるだけで。あと、その台詞は僕のもんですからね。穂波さんのような文章は、書こうと思ったって書けないですから」「とんでもない。文章だけでなく、内容も博識でいらっしゃって、ああそんな視点があるのかと本当に嬉しかったんですよ」「知ったかぶりなだけです(笑) 僕はまだまだ末端構成員なんで。演劇って、そのーいわゆる劇評家、ですか、なんか公演に対してあーだこーだうるさく書く人種がいないんですか?」「んーまあほとんどいませんね。いてもツイッターで、ツリー形式で書いてくださったりとか。ああやってブログで書いていただいたのはほぼ初めてのことで感動しました。あと、劇評家って言っても、誰々が可愛かったとか、全然作品を見つめてくれない人の方が多いです」「映画も一緒です(笑)」「作った本人なのに、スギさんの文章によって視野が広がったというか、あれは立派な批評ですよ」「ダメダメ!それは絶対違う(笑)ズブの素人が書いた単なるカンソー(笑)」小野カズ「そうよ、あれは感想なんじゃないですか?」「いやいや、あれはもうね、いやーもう批評になってんですよ!んぐうー!」

 

大概、こういったピコーンと来やがる出逢いというのは、もう最初の30分、否10分、極論1分話しただけで感知しますよね。「うわーこの人絶対いい人だ、善人とか悪人とかそーいうのじゃない、この人はいい人だ、俺にとって」って歓びがあるんです(今現在仲良くさせてもらっている皆さん、例外なく当てはまります。オレの第一印象は知らんが・笑。この文章は主観の都だからな・笑)。そのあと話し込む必要も無いんですよね、本来は(笑)もう超好き、いえーい、最高ー、またねー、でいいんですよ(笑)でも信頼した後に、人間っちゅうのは不思議ね、興味を持っちゃうんですね。信頼できただけでもうゴールなのにね(いやスタートかな?)。この人ともっと色々と話をしたい/聞きたいと欲求し始めました。

 

「穂波さん、映画はよくご覧になられますか?」「いや最近は全く。腰が痛くなっちゃって」「ああ、腰ね、腰は大事です(笑)」「学生時代は、それこそカズマさんともたくさん観たんですけど」「たとえばどんな感じのものを食ってきましたか?(聞き方・笑)」「あのー『太陽を盗んだ男』、カズマさんも大好きで」「うわーやっばいなー、あのおー、嘘でないことを誓ってシンクロニシティとして報告しますが、僕、ちょうど昨晩『太陽』見直してました(笑・ガチで)」「ええ!ほんとですか!(笑)」「久々に観たら、あれネコの芝居すごすぎますよね(笑)あと『太陽』の助監督やってたのがウチの大学の教授で、ゴジ(注・長谷川和彦監督の愛称)への恨み節をよく聞いていて(笑)」「ええええ、それはすごいいい!」

 

穂波さん目ぇキラッキラ(笑)横の小野カズさんもオールタイムフェイヴァリットのハナシで目ぇキラッキラ(笑)やっぱり映画はあらゆる境界を突破しますなー。映画部部室みたいだった(笑)

 

「そうだ、今回の公演で言えば、ハルヒとか(うる星やつら2)ビューティフル・ドリーマーはレファレンスとして意識されてたんですか」「いや、ハルヒは消失しか観ていなくて、テレビシリーズはまだ途中ですね。消失のすごいところって、あのキャラクターたちが何の違和感もなく溶け込んでいる、あの風景だと思うんですよね」「なるほどお、京アニは背景やロケーション完璧ですからね」「京アニで言うと『氷菓』は好きで、あれは影響受けているかもしれない。うる星やつらはもちろん大好きです。押井守大好きなんで。でも影響って考えると、意識はしていない。ほとんど無意識に近いとは思います。タクシーのシーンが好きなんですよ」「はいはい、最高ですね幻想的で。まどマギでパクられてましたけどね(笑)」「そうなんですか(笑)」「ループをバスで表現してましたよ、まどマギの方は、深夜バス(笑)」「タクシーをバスにねえ、あーそれはいいなあ(笑)」

 

何がいいんだよ!(爆笑)

 

「スギさんも、あとたけきさん(『盛夏火』主宰。夏の次に魔女をやる劇団!最高ダ!)も仰ってましたけど、今回の舞台がアニメーション的だって指摘はすごく腑に落ちたんです」「僕はププ井さんが特にそう感じられました。完全に声で成り立たせちゃってる。メルちゃんとかもそう。たとえば、あのキャラはアテガキなんですか?」「はい、アテガキです。ププ井を演じた東雲さんは彼氏が4人いませんが(笑)」「そこが現実だったらより一層ファンになってましたけど(笑)じゃあ、基本的には皆さんアテガキで?」「アテガキですね」「なあるほど、はいはい、しっくり来ました。だからあんなに適材適所なんだ。キャラにしても声にしても発話にしても。あとはゼミ長も、キャラクターとして失敗していない、そして数分前に笑わせられていた人物に泣かされるっていう、例えば映画好きの端くれの視点としては驚きでしかなくて。映画じゃ絶対無理です、あのキャラクターたちをあのように扱うのは。演劇は幸福だなあって感動しましてね」「アニメーションって、あの幻想でしかないキャラクターに肉体を持たせるという意味では、演劇と似ている部分もあると思うんですよ。そういうところで腑に落ちました。意図していたわけじゃないんですがね」「無意識こそ最も聖なるものです。そしてその無意識なレファレンスを指摘したいのが、僕の病なので(笑)」「いやいや、言われて気付かされる感覚って、こんなに有り難いことなのかと感謝しかないんですよ」

 

へりくだるよなーーー(笑)オレこんなに物腰爽やかにへりくだれないもん。俺がちゃんとへり×100くだらないとならねえのに、んもーう笑いが止まらなくて無理でした。小野カズさーん、このハイボール、取り急ぎ令和でいちばん美味いわー(笑)こんな信じられないことがあるんだもん、そりゃあオリンピックが東京に来るよな(笑)

 

あと、映画観ないでこんなに面白いモノ作れるなら、腰痛めて映画なんか観る必要ないですよ(笑) 映画フィールドでさえ、シネフィルぶったスノッブ野郎たちが、幾多の映画群を観ても尚、肥料にもならねえクソをひねり出すだけの神経症の猿と化している惨状です。いやさテメェこそシネフィルぶったスノッブ野郎だろーが、と指摘されれば、答えは、いえーす、です。どうだ、参ったか(笑)

 

<と、ここで注釈。ええーココまでキーパンチしていたらですね、もちろん御二方がもたらしてくださった多幸感に酔いしれて覚醒しつつ書いていたのですが、んまあ、朝の6時くらいに打っていて、んまあ、寝落ちしましたよねえ(笑)で、今起きまして、やべー続きを書こーうとコレ打ってます。因みに、ここからのセクションでは、一軒目の居酒屋から別の店へと移っているのですが、その辺どうでもいいですからカットしてます(笑)あと何書いたのか読み直してもいません、ぼーっとしながら書いたものこそがジャスティスなので(笑)ではでは、淡い記憶を非鮮明に吐いてゆきます。以下、タイムラグを踏まえた再開です>

 

<2>

 

「穂波さん、さっき映画の話を伺いましたが、もう少し突っ込んでお聞きしたくて。映画のジャンルだと何がお好きですか?」「邦画を観てましたね。塩田明彦が好きで。『害虫』とか」「あ、いいっすねー」「スギさん、石井聰亙だと何がお好きですか?」「『狂い咲きサンダーロード』ですね、思春期の少年たちはみんな仁さんの勇姿を観て生きてこられたから(笑)」「ああ!いいですねー!あと僕はイタリアのネオレアリズモが好きで。『自転車泥棒』とか」「デ・シーカっすね。ロッセリーニとかも?」「そうです『無防備都市』とか。なんか、あんなに貧しい現実を描いているのに、なぜか笑えてくるんですよねえ、笑っちゃうんですよ」「ぎゃははははははは!ロッセリーニ観て笑っちゃうの最高ですね!イタリアだとアレですか、フェリーニとかやっぱりお好きで?」「いや、そんなに観れてなくて、『8 1/2』とかですよね……あ、あれ誰が監督だったのか失念してしまったんですけど、あの映画は好きでした、『オーケストラ・リハーサル』ってやつ」「それフェリーニっすよ!(爆笑)」「あ、あれフェリーニなんだ(笑)いやーあれはすごい好きです」「『オーケストラ・リハーサル』とか『インテルビスタ』なんかは、割とすんなり演劇っぽいですからね。あ、ゴダールとかもお好きでしょ!」「ゴダールはですねえ……一番好きなのは『パッション』ですね」「わははははははは!いやすみません、ベストで『パッション』って言った人初めて会いました(笑)」「いや、あの映画はラストの台詞がもうしびれてしまうんですよ。あれを聞くために観るくらいです。あとは『アルファヴィル』とかも好きでしたよ」「自主映画の文法で作った商業SF映画ですよね。ライターで無線通信したり(笑)ゴダールやっぱ馬鹿だなあー(笑)」

 

穂波さん、めちゃくちゃ映画観てるなー、腰痛くなる以前(笑)小野カズさんも映画狂なので、正しい教育(笑)があったのでしょうね。

 

そうそう、小野カズさんと以前お逢いした際に、我々はラジオっ子だったというハナシになって(端的に今もなんですが・笑)。聴いていた番組がほとんど同じで嬉しかったんですよ。小野カズさん、アルピー(アルコ&ピース)のオールナイトニッポン最終回、出待ちで有楽町まで行ったっていうんだから(笑)やっべーな、オレだって相当行こうか迷ってたのに(なんで行かなかったんだろう、コロナウイルスだったかな?・笑)。

 

そうしたら穂波さんもラジオは愛聴されてたんですよね。まあ、やっぱり。そりゃあそうだよね、敢えて申し上げますが、オレたちさあー(笑)

 

穂波さん曰く「あのですね、思春期の頃、僕、宮崎あおいが好きだったんですよ」「宮崎あおいが嫌いな思春期はいないでしょうね(笑)」「学校なんかなんにも楽しくなくて。毎日なんにも満たされない。でもある晩、深夜に生放送のラジオ(注・テレビだったかも、誤訳歓迎主義)から流れてきたトークを聴いて。そうしたらその時、この瞬間に、確かに面白いことを話している人たちが絶対に同じ時間にいるんだって、めちゃくちゃ感動したんです。救われたんですよ。で、同じ空の下、宮崎あおいも確かに生きているし存在しているんだって思えたら、もう嬉しくて嬉しくて」オレ&小野カズさん「ぶははははははははははははははははは」

 

素敵な思春期の一晩ですが、それはもう、演劇も同じことがいえますよね。同じ空間、同じ時間に、確かに肉体を持ったキャラクターたちが「いる」こと、それを「観る」こと、の豊かさ。反面、映画はどうしたって「過去」の映像なので、さらに絵画や文学も「過去」の集積ですから、この「生放送」あるいは「同時共有」のグルーヴは、やはり演劇ならではの多幸感かと思います。つまり、演劇はラジオだ!ってこと。そりゃあ声や発話はよろしい方がいいよね。

 

僕「演劇って、視点が一つに定められていないじゃないですか。映画はカメラがあってショットがあって、観客の観たいものは割と制限されつつ誘導されていきますけど、演劇は観客がカメラなんですよね。観客の数だけ視点がある。だから同じ演劇を観ても、客によって観る視点は絶対に違ってきますよね。それって体験として唯一な豊かさがあるなあと感じるんですよ。端的に言えば多様性を信じてるというか。唯一なのに多様、これは素敵なことだなって。その辺が映画は作り手や観客のリテラシー含めて、まだまだ難航してるというか」「演劇の魅力として仰る通りだと思いますが、映画は映画で、その視点に共感させてしまうという素晴らしさがありますよ。悪人にさえ感情移入させてしまうこともできる、だからある意味おそろしいことでもありますが、それは特有の魅力に他なりません。僕は自分には無いものを持っている人に興味があります。だから映画もそうなんです。演劇にはできないことをやっているから。スギさんに嫉妬したというのも、持っていないものを持っているから。悔しいというよりも、その刺激を受けて自分には何が生み出せるのか、そこに興味があります。絶対的に次の作品は、スギさんの文章から影響を受けてしまっているので」「だははははダメダメ!排気口、次、大失敗作になりますよ!(笑)」

 

自分には無いものを持っている他者を、憎悪するのではなくリスペクトできることは、大変同感すると同時に、今後も見習いたい、努めていきたいマインドであります。

 

「影響受けてしまってるのは僕の方こそです。今回排気口に触れて考えたことは、自分が作劇主義、あるいは映像主義だったということで、全然キャラクターに寄り添えていなかったということです。ほとんど無視に近かったと思います。編集でどうにかなるし、それこそアンチ演劇的になっちゃうというか。映画はカメラを向けている段階で、眉間に銃口を当てているのと同じ、つまりどうしたって暴力なんですが、ちょっと乱暴に扱うのはやめようかなと思いました。キャラクターは生きているし、でも勝手に生きているわけじゃない、自分が生かす手助けをしないとならないなって」小野カズさん「松江さんの問題じゃないですけどね、暴力はよくない」「そう、暴力はアカンです(笑)キャラじゃなくて、客に暴力振るえばいいんですけどね(笑)ショックを与えることが価値なんだから」

 

すみません、僕が結構喋り過ぎてますよね(笑)オレの発言なんかどーでもいいんだが、すみません穂波ファン諸君、まだまだオレは喋るぜ(苦笑)

 

「スギさんはご自身で映画を作る際、最も何を重視しますか」「ええーそれは流れ的に、俳優を選ぶ際に、ってことですか」「そうですね」「ええー、これは僕の暴論ですけど、まずルック、画になるか、映えるかみたいな。ヴィジュアル主義といいますか……いけねえ、映像主義は改めるんだった(笑)ええと、僕はあらゆる美醜の差別はありませんけれど、生意気ながらウルトラ面食いなので(笑)、まあそこは深層心理的な欲望なわけですが」「絶対面食いだと思ってました!」「なんで?!(笑)まあそれは抜きにして……ええーハイ、最も重視するのは『声』ですね」「あああああ、うおおおおおお(穂波さん、なぜか激しく頷く・笑)」「僕は音楽サッパリなんですが、楽理は独学で習得しましたが(笑)、やっぱり最もジョイフルな芸術として音楽家へ嫉妬しています。だから音楽的な構造を映画にトレースして、音楽的な歓びみたいなものが映画で出来ないかなーなんて。それで声ですね、美しくても醜くても、必要な音を持っている人は作品と関係持たせたいです。それこそ、排気口の皆さんは全員もれなく声カンペキ」「使ってやってください……」「とんでもない(笑)コレ肉サイの人たちにも同じ賛辞送ったので怒られちゃうかも(笑)でも声が良かっただけだもん、みんな。小野カズさんも、声いいっすよねー。いないもん、こんな人ほかに(笑)」小野カズさん「おねしゃーす!」

 

と言うか、こんなに外部(他意なく演劇)の方とゆったり面会して話したことが、まあほとんど初体験だったんじゃないかしら。我々はよそ者同士であるにも関わらず、互いを尊重し合うことを選択できた。選択できたってことがまずご縁なんですが。

 

僕は潰し合いと呼称される争いには、本質的な研磨機能が皆無だと考えています。映画のフォースを怨念や憎悪に使用した者も、使用された者も、間違いなく誰も幸福感を獲得できません。それ自体が映画の敵になるからです。また、人間は他者によって潰されることは構造としてあり得ません。原初的な要因が外部であれ、人間は基本的に自ら、自滅していくように作られています。

 

特別に、お互いに褒め合って、頭を撫で合ってスキルアップしていくことも、思考停止の馬鹿を育て上げるだけの愚行に過ぎません。無自覚な王の、無意味な権力行使を目撃することは、表現として、果てしなく枯渇した状態であるといえます。適切な関係性とは、何事においても大切なことです。特に、戦争と恋愛においては。戦争と恋愛は、全く同じ構造で出来ていて、その構造を自らの「趣味」に当てはまる必要なんて、まあ書くまでもなくですが、全くありませんからね(論がスプリットしますが、松江サン、映画監督が王様だった時代は終わっちゃったんですよ・笑。民たちがそれを許さないんだもん。ネチズムの怨念によって引き摺り下ろされちゃう前に、出来ることはあったと思うんだよなー、直井サンもさー・笑)。

 

もうそういった次元ではなく、我々(コレは映画と演劇と括っちゃいますが)は手を取り合う必要があるはずです。手を取り合うというのがおこがましいならば、あなた方にひざまずきつつ、自らの供物を捧げて、託宣が舞い降りてくるのをこうして書き留めるだけです。

 

僕は前述した通り、ほんの1年前までは強迫観念的な粘着質を備えた映画のファンダメンタリストでした。映画こそが、他のどの芸術表現よりも一番偉いんだと、臆面もなく信仰していました。言うまでもなく、狂信者にやがて訪れるのは、愛憎入り混じった誇大妄想と絶対的な孤独でしかなく、これは全然クリーンな関係性とは呼べない。だから自分が信仰していた神に対して、僕は確固たる有意識の元で、中指を立てるようになりました。よりソフトな表現ならば、神に対してあっかんべーしたという感覚です。映画を権威主義として崇めることの、誠に愚かなことよ。とにかく、神はクソだと、唾を吐きたかった(リドリー・スコット監督による大悪趣味残酷絵巻『プロメテウス』は、人類の創造主たる神にファックオフと唾を吐く最高にハッピーな映画です。酷評の嵐だけれど、愛せるなー、キリストにばーかって言っちゃうんだよおじいちゃん監督が・笑)。メッシーフェチがあるわけではありません。単に僕は、「映画」の髪を掴んで喉元まで性器を突っ込み、性液で窒息させる快感を味あわせるくらいには、映画を愛しています。

 

それまでのファンダメンタルな自分は、他表現、特に演劇への距離が「あった」と認めざるを得ません。その距離感に憎悪も、嫌悪も、怨念も、殺意も無かったのですが、とにかく「映画の方が面白いに決まってんじゃん、大体オメエらのせいで劇映画にも関わらずぎゃああああって叫んだりうわあああんって泣いたりする役者が増えてんだよ、映画で演劇の芝居をやる哀れな侵略者たちだぜ、責任取れよ誰が取るんだ、ああ?フジタか?オリザか?オカダか?ニナガワか?ノダか?テラヤマか?シェイクスピアか?(無知なのが明らかな羅列・笑)」と、それめちゃくちゃ憎んでるじゃんって勢いですが(笑)、要は文字通りの責任転嫁してただけなんです。演劇サン、そちらでしっかり教育してくれないと映画が困るんですわあ、と。テメェらで完治させる努力ゼロっていう失態ですね(笑)
つまり、僕は、彼らを「異教徒」だと考えていました。演劇っちゅーものを。異教徒の作品に触れることなく、自分たちの神をオカズにして射精していた愚か者でした。

 

ゆえに、異教徒の神々と接見する機会が、たくさんあった(僕の母校は所謂Fランの映画学科ですが、演劇だけは強かったのよ)にも関わらず、彼らとついに逢うことがなく、ここまで来てしまいました。自覚した時には、嗚呼、遅かったと、落胆するに至ったのです。

 

ところが、異教徒たちは僕の眼前に突然現れて、あまつさえ手を差し伸べてきました。ナイフを首元に突き付けられると思っていたのに。彼らは僕を差別しませんでした。去年、るんげ(肉汁サイドストーリー)、ふくしまけんた(もんしろ)、hocoten(地蔵中毒)たちと出逢いました。彼らがあまりにもヤバイ人(笑・狂人ってことじゃないです、オレなんかの何倍もセンスがいいってことね、ホントホント・笑)だったことは、端的に当たりクジを引いたとしか思えない。彼らが僕にとって、最初に接見をしてくれた異教徒たちであり、彼らは我々の宗教さえ噛んで含むように習得し、そしてベストタイミングで、異教の魅力を呪いのように僕へ伝聞したのでした。呪われるのは難儀ではありませんでした。非常にスムースに、僕は排気口へと、そして穂波さんへと辿り着いたわけです。

 

穂波「今日は本当にありがとうございました。本当に楽しかったです」
オレ「こちらこそ、今後も遠慮なく誘ってください。次は美女多めで(笑)」
穂波「どうにかしまーす(笑)ではでは、おやすみなさーい」
去る穂波。
取り残された小野カズとオレ。
小野カズ「……」
オレ「小野カズさん――」
小野カズ「スギさん、何も言わなくていい」
オレ「……オレの言うべきことなんか分かってる、ってか」
小野カズ「ああ、そうさ。ほとんど、俺が思い浮かべている言葉も、アンタと同じさ」
オレ「フン……でも、ちゃんと言わせてくれよ。言葉は、声に出して命を持つんだ。それに、今この瞬間に、残しておきたい」
小野カズ「わかった。それなら、言うか」
オレ「……小野カズさん」
小野カズ「……スギさん」
二人「会ってくれて/会わせてくれて、ディープサンキュー深い感謝!!!」

 

<3>

 

穂波さん、僕は世辞も嘘も偽りも無く、あなたの書かれた文章も、あなたの言葉によって紡がれた演劇も、心の底から愛しています。まだ一回しか観劇していないので、じゃあこれは一目惚れなんでしょう。この愛は片想いで良いです、片想いの方がエロティークで燃えるので(笑)。そしてこれは、端的に「嫉妬」が含まれていることを覚えておいてください。あなたが僕に抱くよりも、100京倍以上の嫉妬を、僕はあなたに抱いています。そしてこの嫉妬とか呼ばれる感情が、豊かで、多様で、すこぶる幸福な福音であることを豪語しておきます。今後も僕は、あなたの眼前で「くそーう!」と地団駄を踏み続け、地表の固さを知るに至るはずです。僕は僕で、映画という土俵でイタズラを遂行します。どうか、お互いが目の前から去らずに、お互いを再的確に苦しめ、ふさわしい形で救い合いましょう。最後に一言。オレは絶対に、消えてやらないからな、穂波チャン。

 

ディープサンキュー、深い感謝。