20世紀ゲネラールプローベ

電影永年私財法を発布するべくゲネプロ中の備忘録。

2019年日本映画ベストテン

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10位 『チワワちゃん』(2018/二宮健)

映画としての不格好さは明確で、決して誰もが認めるような完璧な傑作ではないのだけれど、すなわち、その構造としての欠陥や映画それ自体が嘆く不発感が、イコール「青春」と呼応している、ある意味メタ的な作品(この構造は『溺れるナイフ』とも酷似しているといえる)。ゆえに、僕にはこんな華やかな、チャラついた、三晩で600万を溶かすような青春は無かったけれど、「テメェの青春もこの映画のように不完全なものだったよなー」と、己の青春が映画によって全否定され続けているようで、どうにかして肯定に思考を働かせようと能動的になる、その過程も踏まえて忘れがたい一本。ハーモニー・コリンの『スプリング・ブレイカーズ』にも似た空虚な美しさすらある。岡崎京子による原作実写化としては、間違いなくベストに岡崎京子観を再現できているので、『ヘルター・スケルター』もニノケン監督に撮ってもらいたかったものです。

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9位 『さよならくちびる』(2019/塩田明彦)

映画学校で配られる教科書みたいな映画。というと味気ないけれど、なんでこんなにも「映画」をどこまでも突き詰めて遂行してしまうのかという歓びは、監督が塩田明彦という事実以上でも以下でもない。『さよならくちびる』は、凡庸な監督が決して辿り着けない、スイも甘いも経験した、そして蓮實重彦黒沢清パイセンからの教養を完全履修した映画作家塩田明彦だからこそ到達し得た境地である。「他の芸術表現とは異なり、映画には映画でしか成せない表現があるのです」で埋め尽くされた全編。ほとんど実写版・塩田明彦著『映画術』。インタビューの途中で突然唄い出すファンの女の子のシーンが生理的に気持ち悪すぎたので、あの辺がブラッシュアップされていれば順位はもっともっと上です。

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8位 『殺さない彼と死なない彼女』(2019/小林啓一)

「未来」についての映画。言葉通りの意味で、過去も現在も未来なのである、ということを映像と台詞で構築していく非SF作品でありながら、僕らの隣に生涯寄り添う「時間」との適切な付き合い方さえ考えさせられる。コミュニーケーションに関する作品でもあり、よしんば未来において幸福が確約されていなくとも、たとえ関わったことによって自分が傷付こうとも、人と人が関わることには絶対的な尊さがあるということを力強く明言してみせる。隣人の暴言を愛そう。隣人の好意を愛そう。隣人の哀しみに寄り添おう。自然光のみで撮られたという信じ難い光の美しさや、桜井日奈子が「女優」と化す瞬間がおさめられたドキュメントとしての価値も有する。桜井日奈子の走り姿を思い出すだけで涙腺が刺激されてしまう……。未来で思い出すために、なんてことない今日をしっかりと過去にしよう。

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7位 『空の瞳とカタツムリ』(2018/斎藤久志)

今年最も美しい脚本によって撮られた映画。荒井美早氏によるシナリオは、ほとんど小説のように書かれているけれど、それが説明に徹することから免れているのは、あまりにも音楽的な律動によって台詞が補完されているからに他ならない。セクシャリティに関するLGBT映画とカテゴライズするのには勿体ない、「穴」を持ったすべての人々に歓迎されるべき普遍的な作品だと思っている。愛のない他人だからセックスが出来る。愛が芽生えた瞬間、その相手とセックスすることが出来なくなる。「穴」を埋めるためのセックスが、愛によって満たされることのない果てしなき渇きと、愛によって満たされる微かな希望を備えた行為ならば、今宵も埋めよ、己の「穴」を。

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6位 『TOURISM』(2018/宮崎大祐)

和製ヌーヴェルヴァーグ。現代人にとって失われた、本来の意味での「観光」をペシミスティック且つオプティミスティクに捉えた視点の鋭さ。現代人の観光には、スマートフォンGoogleもガイドブックも内蔵カメラも同行していることがもはや必然となっている。目的はインスタ映えする景色を探すことに終始し、現地の人々との会話も翻訳アプリが解決してくれるし、有名観光スポットを目の当たりにしても、あらゆる情報から受けた既視感だけがポツンと残る。これが本来の「観光」なのだろうか。と、映画は中盤より、主人公二人をはぐれさせて、肉体の一部と化したスマートフォンを奪う。観光が予定調和から脱却したとき、「なんか、イオンモールみたいだねー」「マーライオン、意外としょぼいねー」という無感動の旅は、ディズニーランドのような、摩訶不思議な虚構の旅へと変貌する。カメラを奪われた遠藤新菜演じるニーナを、確かに「カメラ」が撮っていることの揺るぎなさと、ニーナが初めて見た景色のそのすべてが「観光」としての意味と役割を獲得するエモーショナルな美しさ。世界に注目される才能というのは、こうでなくてはならない。

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5位 『惡の華』(2019/井口昇)

仲村さんがいなかった思春期を過ごした者として、本作をランクインさせないという愚行には走れまい。仲村さんの「どこへ行って、私は消えてくれないから」という言葉は原作にもあるのだけれど、実写における深みの倍増度の高さ。「消えてくれない」という死ぬまでの苦しみは、同時に死ぬまでの救いだ。地獄の展開に悶々としつつ、井口昇監督による、すべての鬱屈した思春期を過ごした若者たちへのあたたかい視点が、全編にベールのように纏わり付いている優しさに泣く。玉城ティナを仲村さんにキャスティングした時点で、本作の成功は保証されていたと言っても過言ではない。ティナ仲村、5兆点した。

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4位 『i -新聞記者ドキュメント-』(2019/森達也)

先に書いてしまうけれど、僕は『新聞記者』という「映画のフリをした物体」を本年度のワーストに掲げている。ほとんど、あのゴミのことを思い出そうと励むだけでえづくし、記憶から抹消して精神の安定を保っているので、まあ掘り返すような真似はしないけれど、全くそれとは関係なく、この森達也監督による記録は素晴らしい。森達也ブランドとしての一定水準以上の豊かさは担保されているものの、メディア論としての強固さ以前に、対立する敵役が存在するエンターテインメントとしての機能性は、フィルモグラフィ上でもトップの出来かもしれない。その敵が「国家」というのが、まあいつの時代もそうですわね、しかしながら現在においては特にブッ飛ばさなきゃならない敵ですわね、という、日本国民共通の認識が本作の「面白さ」を手助けしている。そう、端的に、この状況を「面白がっていい」というのは救いだ。僕は政治にはまっさら興味がない。とは言え、そんな自分でさえ現政権にはムカムカと腹立たしい点は幾多もある。怒りや悲観には落とし所がない。どうせ楽天的な政治なんて一生現れない。ならば、この状況を「面白がろう」。情けない発言だけれど、まずはそこからだ。これも「闘い方」の一つだ。フィクション以上のリアルを生き抜くための。本作の主人公でありヒーロー・望月衣塑子の闘志を前に、闘いを「撮る」という闘い方を選んだ森達也には、毎度のこと頭が上がらない。

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3位 『ホットギミック ガールミーツボーイ』(2019/山戸結希)

つまみがぶっ壊れて制御不能な蛇口からドバドバと勢いよく水が流れ続けている。水道管は破裂寸前。尚も暴れるように流れる水。しかし、蛇口からチョロチョロと静かに滴る流水よりも、この蛇口から大袈裟に放出される水の躍動感を見て、あなたは果たしてそのつまみを回すだろうか。山戸結希は賛辞としてついに「ぶっ壊れた」し、東映のプロデューサー陣はそのつまみを決して回さなかった。ゆえに、本作は紛れもなく作家の映画だ。ほとんど暴力的な加害性に満ちた本作だけれど、文字通りバラバラに身体を切り刻まれる俳優たちが、その身体が映った一瞬毎に言葉を刻印していく抵抗がバチボコにエモい。俳優が監督や映画に対して、アジャスト(適応)ではなくアゲインスト(抵抗)し続けることによる刹那的な摩擦。それによって火花のように散る細分化された一瞬、その輝きの強固さ。俳優を詩にしてしまう山戸結希の罪が、無差別に行使されたことによって誰しもに突き刺さる殺傷力をついに兼ね備えた。すなわち、恋に落ちる瞬間、人は人を殺傷している、ということを思い出させてくれる。119分間、止めどないカット割と理詰めされた台詞の応酬に添えられた、確かな動線と象徴的なロケーションも相まって非凡な暴力性に満ちており、映画作家の暴力性とはこうでなくてはならないね、と激しく頷きました。

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2位 『枝葉のこと』(2017/二ノ宮隆太郎)

現在を過去で説明しないことにより、解釈を断定させず、観客を能動的に働きかける手際の良さだけで、他の凡庸な社会批判"風"作品とは明らかに隔離された位置で本作は脈打っている。監督の実体験がベースとなっているにも関わらず、それが私小説的な自己陶酔に陥らない、否、陥らせてはならないという客観視点が真に「けじめ」であり、映画作家としての演出力の高さに脱帽してしまう。観たこと自体を誇りに思う、なんて映画がまだこの世に存在しているとは予期してもおらず、間違いなく本作はどの映画とも異なる「誇り」を兼ね備えているし、これが劇場デビュー作とは極めて信じ難い、二ノ宮隆太郎監督の才気に対して、早めにファンになっておくことを推薦する。主演も務めている二ノ宮監督の、圧倒的な佇まいのフォトジェニックさは、山下敦弘監督が指摘していた通り、ほとんど北野武だ。同監督作の『お嬢ちゃん』も余裕でランクインの傑作だったけれど、より誇り高い堂々たるデビュー作として、本作を選出しました。

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1位 『ひかりの歌』(2017/杉田協士)

切断されたことによって永遠と化す、全瞬間が美しい、ただ一本の映画。与えられない「終わり」が、徒歩、ランニング、自転車、車、汽車、船という運動と共に運ばれてくるとき、最終的にそれぞれが「始まる」し「終わる」という、つまりは永遠として無限に輝き続ける権利を獲得する、この言葉では表現できない映画的な歓び。フレームの外へ向けられた視線。夜の疾走。始発待ちの駅のホーム。キャッチボール。自動販売機の光。振り子時計の音。絵。雪を落とすワイパー。傘。一生観ていたいと心底願った日本映画は、今年はこの一本のみです。

 

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特別枠 『おばけ』(2019/中尾広道)

この10年間で観てきた自主映画の中で最高傑作。10年間何観てきたんだよと言われても、だって本当に最高の傑作なんだから仕方ないじゃん。世辞抜きに、ぴあフィルムフェスティバルってこの映画を発見するためにあったんじゃないの、とすら考えてしまう。身を削って撮ること。命を懸けて映画を作ること。その価値は本当にあるのか、という問いに対して、力強く「ある!」と断言してみせる。むせび泣いた。人生の節目ごとに観返したい。一本でも映画を撮ったことがある人も、一本も映画を撮ったことがない人も、間違いなく勇気付けられる大傑作。中尾監督が自主で映画を作るなら、もう誰かが自主で映画を作る意味はない。同時に、まだまだ誰かが自主で映画を作る意味はある。やってやろうじゃねえの!

 

【2019年日本映画ベストテン】

  1. ひかりの歌
  2. 枝葉のこと
  3. ホットギミック ガールミーツボーイ
  4. i -新聞記者ドキュメント-
  5. 惡の華
  6. TOURISM
  7. 空の瞳とカタツムリ
  8. 殺さない彼と死なない彼女
  9. さよならくちびる
  10. チワワちゃん

【特別枠】おばけ