20世紀ゲネラールプローベ

電影永年私財法を発布するべくゲネプロ中の備忘録。

緊急時代の恋【2】トキシック、ミュージック、シガレット、セックス、そしてケーキのご褒美

f:id:IllmaticXanadu:20200414121415j:image「モデルのくせにケーキが食べたいなんて、オマエってちょっと変わってるね」

その一言が、サーファー野郎の彼と別れることになったきっかけだった。アタシはそれを聞いた瞬間から眼球の奥がズキズキ痛み出して、次第にじんわりと涙を浮かべていた。

「え、怒ってる?」最低の言葉。「怒ってないよ」「怒ってんじゃん。明らかに不機嫌じゃん。え、オレなんかした?」「だから怒ってないよ! アタシはさ、悲しんでるんだよ」「……え、なんで?」

この男、アタシがラデュレのマカロンを好きだからってマカロンの香りがする謎のパフュームを渡してきた、そんな誕生日プレゼントのセンスも最悪だったけれど、こういう時に、やっぱりサーファーにロクなやつはいないんだなって、改めて最悪に思えた。貰ったパフュームは匂いがキツすぎて、メルカリで売っちゃおうかと思っていたけど、プレゼントを転売するのはこんなアタシでさえも後ろめたさがあるし、それに、どうせあんな香水はメルカリでも売れるわけがない。

「アタシはさ、今日ケーキが食べたかったんだよ。リョウとさ。付き合って1周年の今日に。なのになんで、なんでお好み焼き屋に連れてきたわけ」「は? お好み焼き好きだろ、オマエ」「好きだよ。でも正しくはもんじゃが好きだから! それに、黙ってたけどさ、こんなこと言いたくないけどさ、なんで1周年記念の店がお好み焼き屋なわけ? いやいいけどさ、いいんだけど、リョウがアタシのこと考えてくれてたならいいんだけどさ」「気に食わなかったなら初めから言えよ」「気に食わないとかじゃないよ。でも、アタシ言ったよね付き合った時に。記念日は美味しいケーキを一緒に食べたいって。だからお好み焼き屋って聞いた時、正直悲しかったけど、でもじゃあケーキがある店だったりするのかなって信じてたんだよ。なのに無いじゃん。冷凍のガトーショコラしか! ねえ、覚えててくれてた?」「じゃデザート頼めよ、ほら。ガトーショコラでいいじゃん、ケーキだろ」「いやそういうことじゃないじゃんマジで。ねえ? 質問に答えてよ。覚えてくれてた?」「オレ、そういうの苦手なんだわ」「いや……もう、なんなの」「記念日とか、別に良くね? こだわんなくても。だってオレたち、ずっと楽しかったじゃん、どこだって。ケーキだっていつでも食べられるだろ、帰りに買ってやるよ」「ごめん、アタシもう無理だわ」「なにが」「全部が」「ふーん」「……」「勝手に食えよ。オレはケーキ好きじゃないし」「だから、アタシは、リョウと一緒に食べたかったって言ってんじゃん」「オマエ、モデルなんだしやめとけよ。太るよ」

気がついたら、鉄板の上でチーズミックス焼きが焦げていた。腐ったチーズのにおいがした。いや、チーズは既に腐っているのだけど……最低の夜だ。

彼に別れを告げた。ウソ。厳密に言えば万札だけ卓上に置いて帰ろうとした。「いらねえよ、カネ」「いや、出させてください」「敬語やめろよ。ってか、食えよ」「いりません。お食べになってください」そう言って店から走るように出た。別れの言葉が「さようなら」ではなく「お食べになってください」となったアタシは、鼻水をじゅるじゅるさせながら新宿市役所前の交差点まで走った。

信号を待っている間、客引きのアルバイトからの勧誘を無視して、スマホをインカメにして自分の顔を覗いた。涙でマスカラが流れ落ちている。ドラマとかでよくあるベタな悲しみの表現だ。だけど、結局アタシの人生もベタなんだ。ベタじゃない恋なんてない。失恋もそう。この街に転がっている悲しみの一つに、アタシも加わっただけ。

でも、アタシの泣きじゃくってぐしゃぐしゃの顔は、自分でも驚くくらいに綺麗だった。ああ、アタシこんな顔するんだ。前のカレと別れた時にはちっとも悲しくなかったのに。少なくともサーファー野郎よりは素敵な人だったけど……なんでアイツに対して泣いてるんだろう。いや、アイツだからこそ悔しいのかもしれない。それとも、やっぱりアタシは、アイツのこと愛してたのかもしれない。プレゼントのセンスが無いところも、お好み焼き屋に連れてくところも……そんなことを考え始めた途端に、アタシは声を出して泣いていた。勧誘してきたアルバイトの男性が、戸惑いながら遠ざかった。

信号が青に変わっても、アタシはしばらく泣いていた。SNSに「交差点で泣いてるヤバイ女がいたワロス」と投稿されても仕方ないくらい、アタシは滑稽そのものとしてその場に立ち尽くしていたかもしれない。だけど、アタシは泣いている、泣けている自分自身のことがたまらなく可愛く思えて、ちっとも恥ずかしくはなかった。

泣いてやる。そしてケーキなんて、もう二度と食べない。

信号が再び、赤に変わった。

信号機の色が変わるように、アタシの髪型も変わった。セミロングからショートボブへ。失恋して長い髪をバッサリ切るなんて、またベタな行動に走ってしまったけれど、ベタは偉大だ、超スッキリした。ドライヤーで濡れた髪を乾かす時間が減って、まずはそれだけでも静かな感動だったし、より自分の顔が露わになったことで、表情を意識するようにもなった。笑顔を増やした。とにかく楽しく生きなきゃと思った。だから笑っていた。それまでのアタシ以上に。なんでも楽しんでやろうと意気込んでいた。

時間をスワイプさせるけれど、アタシは彼と別れた号泣の夜、その足でクラブに向かった。レオくんというイカした友達がやっている小さなクラブで、アタシは彼の店が大好きだった。

彼の選曲は、たとえばジョナス・ブルーのFast Carの知らないリミックスで盛り上げた後に、マイケル・カルファンとかC2CとかインコグニートとかUltra Nateとかシーシー・ペニストンとかを経由しながら、閉店間際はBlack Boxで最高にアゲてくれるし、お別れの曲はカーティス・メイフィールドナイル・ロジャースのどれかと決めていた。

アタシはここに通い始めてまだ2年くらいなんだけど、レオくんは最初から親切にしてくれたし、彼は一見客にも優しかった。

泣きながら店に飛び込んで来たアタシに、レオくんは「美人の顔が台無しだよ」ってティッシュペーパーをくれて、面倒くさいアタシは「泣いても綺麗だよって言ってよ」と甘えてしまった。彼は「泣いても綺麗だよ。でも涙を乾かすために踊ろうよ」と、ホーリー・ハンバーストーンのFalling Asleep At The Wheelを流してくれた。アタシはレオくんにも音楽にもめちゃくちゃ救われて、すぐに涙は引っ込んだ。そして朝まで踊り続けた。たくさん笑った。

その夜、レオくんが学生時代にコージーコーナーのバイトに落ちて、不二家の面接に受かって働いていたことを初めて知って爆笑してしまった。「ケーキ屋さんに憧れてたの?」「ううん、単に家から徒歩圏内にあった店がコージー不二家だったの」「なにそれー! そんな街ある?」「そんな街に住んでたのよ。オリジン弁当もあったけど、そこは募集してなかったんだ。クラブでバイトするのがさ、単位のこと考えると難しくてさ」「真面目なんだね」「いや、ケーキ食べられると思って、売れ残りとか。案の定めっちゃ食べられたね。おかげでこの腹よ」レオくんはぽっちゃりしている。

再び時間をスワイプさせて、ショートボブの恋人ナシの女となったアタシは、このクラブで男からナンパされることが多くなった。別に彼氏ナシであることを強調したりしなかったけれど、ヤることしか考えていないパンピー学生とか、やたら高級時計をチラ見させるスーツの似合っていないアラフォーとかが、妙に連絡先を欲しがったり、食事に誘い始めてきた。物事はタイミングだ。神様は本当にいて、アタシたちのことをよく観察している。そして神様は、マジでセンスがない。失恋したタイミングで、こんなにもバカを投入できるのかってくらい、アタシは彼らとの会話が何一つ楽しくなかった。「ダフトパンクだとどのアルバムが好き?」と聞いてきたタワレコでアルバイトしているという柄本佑似の青年は、その後も「8.6秒バズーカってクラフトワークスだよね」とか「『パルプ・フィクション』を100回以上観てる」とか、あまりにもつまらない話ばかりするので、どうやら悪酔いしていたアタシは、彼のコートにゲロをお見舞いしたらしい。アタシの潜在意識下の嫌悪感が、きっとそうさせたんだ。記憶はないんだけど。

でも、どんなにサイテーでつまらない男と話していても、アタシは笑っていた。ちっとも楽しくないのに、最高に可愛くて最高に甘い笑顔を振り撒いていた。男がどういう反応をすればプレジャーを感じて血管を鼓動させるか、赤子の腕を折るが如く簡単に知っていた。男の中にはアタシのことをビッチだと呼ぶやつもいたけど、そうやって怨念が強い男ほど、アタシへ迫るのをやめなかった。それにアタシはビッチじゃない。それは自分自身のことだからちゃんと言っておきたい。自分からワザと騙すようなことはしていないし、セックスだって好きになった人としかしなかった。女友達から裏でヤリマンって言われてたこともあったけど、アタシは、アタシの性器やときめきを粗末に扱ったことはないと自負できる。親友のミウやハルちゃんは「言わせておきなよ」と信じてくれた。アタシの陰口を言ってたその子は、帰省して地元の元ヤンと結婚して赤ん坊も生まれたらしい。めでたいことだ。おめでとう。そして、アタシはこうして群がる男たちに愛想笑いを返し続けている。愛想笑いを見抜けない愚かな盲目の男たちに。アタシはどうしても、笑顔をやめられなかった。嫌われるのが怖かったわけじゃない。アタシはきっと、誰かにとっての楽しさの一部になっていれば、それでいいんだと思っていたのかもしれない。でも、アタシ自身の楽しさには、誰もなってくれなかった。

謎の肺炎が中国で感染を拡大していた頃、レオくんは「もし日本でも流行ったら店を閉めなきゃいけなくなるかもなー」と微笑しながらつぶやいていた。アタシは「怖くないよ。音楽さえあれば。どんな時も開けてよ、約束して」と右手の小指をレオくんに差し出して、彼と指切りをした。指切りをしたタイミングで、店に入って来た男性がいた。タートルネックテーラードジャケットを羽織った細身の青年だった。レオくんは彼を見て「やっと来た。二人を会わせたかったんだよ」と言って、アタシに彼を紹介してくれた。彼はこの店の常連客でレオくんとも親しかったらしいけれど、アタシと彼が店で会ったのは、その時が初めてだった。レオくん曰く、音楽の趣味が合うかもしれないよと上機嫌だった。アタシは、またつまらない男のストックが増えるのかな、なんて酷いことを考えながら、彼としばらく談笑していた。

談笑という単語には「笑」がある。いつも通りの、アタシの偽りの笑顔。でも、その時の彼との会話は、そうじゃなかった。談笑だったんだ、文字通りに。アタシはすこぶる落ち着いていた。彼はフランク・オーシャンが書く歌詞のメロウさを優しく、且つ情熱的に語ってくれて、アタシもほとんど同感してしまっていた。他の男と違って、アタシのカラダ目当てじゃない、この人の音楽が好きという気持ちを感じられることが、すごく心地よかった。音楽が好き、な彼が素敵に思えた。こんな気持ちはいつぶりだろう。一目惚れしたわけじゃないし、アバンチュールを期待したわけでもない。好きなものを楽しく語る彼に対して、アタシも自然と、好きな音楽について語り返していた。自分の話だけがしたいマウント野郎たちとは違って、彼はしっかりとアタシの話を聞いてくれた。嬉しかった。から、アタシはつい飲み過ぎてしまった。でも記憶はある。

アタシは音楽とセックスは似てるけど、音楽の方がジョイフルで好きという、初対面の男性に話すべきじゃない内容を得意げに話してしまっていた。でも、話すべきじゃないなんて誰が決めたことだろうか。それに、アタシは彼なら、そういう思考を分かってくれると根拠のない楽観を抱いていた。楽器を演奏することと愛撫はほとんど同じじゃん、みたいなことを言った際に、彼は爆笑して、そのままアタシを踊りに誘ってくれた。こんなにも踊りに誘われて嬉しかったことはない。レオくんがもたらすビートに合わせて、アタシたちは一緒に音楽へと身を任せることができた。音を楽しんだ。「最高にシアワセー!」と声に出して言ってしまっていたと思う。恥ずかしい。でも、本当にそうだった。始発の時間まで一緒に踊って、彼は別れ際「またこの店で会おう」と手を振ってくれた。LINEのQRコードを強引に見せてこなかった。まあ、当たり前なんだけど。彼に「またねー」と手を振り返すアタシは、あまりにも無邪気に、大きく手を振ってしまっていた。

彼はハイライトを吸う喫煙者だった。アタシは非喫煙者だったけれど、ついこの前、リョウの吸っていた赤マルでヴァージンを卒業した。アイツの吐息の香りやキスしたときの味を思い出してしまうけれど、つまり、これは敢えて強行していることだ。幼稚な呪いには、エレガントな呪いで対抗する他ない。前の前の元カレは、男のくせにバージニア・スリムを吸っているナヨナヨした男で、セックスした後に一口貰ったタバコの味が女々しすぎて、口から吐いた煙の量だけ、彼へのリスペクトも出ていってしまったのかもしれない。そんな風に感じる自分が、自分でも病的だと思いつつ、アタシはそうやってあきらめを積み重ねて生きてきてしまった。で、そういう話がしたかったんじゃない。アタシたちは喫煙者同士になった。このバッドタイミングに。中毒者でも依存症でもないから、この行為は今すぐにでもやめられる。でもやめない。これは呪いであり、アゲインストだから。幸いなことに、彼もアタシも、タバコを吸う姿が似合っていた。

ハリーズ・バーは喫煙が可能だった。その日、アタシたちはお互いに作ったSpotifyのプレイリストを聴き合ったりしながら、クラフトビールで乾杯していた。彼のプレイリストにSAKEROCKが入っていて、そこから星野源についての話になった。彼は星野源のラジオを愛聴していると言っていたし、音楽も好きだと言っていたけれど、アタシは星野源よりもaikoが女神だよと、全く幼稚でつまらない論を唱えてしまっていた。彼は失恋して傷つき、泣いてしまいたくなったときに、星野源とガッキーのテレビドラマのエンディング曲のダンスをコピーして踊りながら、鬱を脱出したと話してくれた。可愛い人だなと思った。

その話を聞きながら、アタシは自分が嫉妬していることに気が付いた。誰にかというと、生意気なことに、ガッキーにだ。もしくは、星野源に対してかもしれない。くだらないと思いながらも、この気持ちと上手に付き合っていきたいと思った。アタシが求めていて、大事にしていながらも、心に秘めている想いが、自分でもようやく理解できた。

ふとアタシは、赤マルに火を点けながら、今年の夏について考えていた。今年の夏は、まだ始まっていない。しばらく、まだしばらく春は続く。この最悪な春が。だけど、アタシにとってはこんな最悪な春でさえ、とても楽しいし、きっと夏も楽しくなるに決まっていると感じられていた。春が終わると同時に、恋が始まるかもしれない。春が終わると同時に、恋が終わるかもしれない。春が終わると同時に、恋が始まりも終わりもしないのかもしれない。それが全てだ。間違いなく。今年の春の記憶は自分の中でどうなってしまうのだろう。そんなことを考えそうになったアタシは、彼といるときだけは、とりあえず考えるのをやめた。

その5分後、彼から「海」に誘われた。それは同時に、アタシを愛していることへの告白でもあった。本気なのだろうかと、アタシは彼の顔を覗き込んだ。彼は照れもせずに、アタシの顔をじっと見つめていた。

精神的な結び付きがあるから、肉体的な結び付きが生まれるのかもしれない。けれど、そこに肉体的な結び付きがあるから、逆に精神的な結び付きも深まるのだ、ということも事実だった。そして、精神的な結び付きがまったくなくても、肉体的な結び付きだけが存在することだって、アタシたちのまわりには、しばしば起きる話だった。

アタシは彼に、肉体的な結び付きや、精神的な結び付きを求めて出掛けてきたわけじゃなかった。ただ、彼といるとムシャクシャした気持ちが消え失せて、落ち着いて楽天的な自分になれた。アタシは彼のことを最高に気が合う友達だと思っていたし、きっと彼だってそうだと思っていた。いや、本当はそうじゃないかな。じゃなきゃ、アタシはガッキーに嫉妬しないだろう。色々と考えているうちに、アタシの口からは「水着買っていいかな、今から」という言葉が発せられていた。

グラスに半分ほど残っていたクラフトビールを空けると、アタシは立ち上がって「行こう」と言った。

伊勢丹へと向かう道中、アタシたちはバカ話をしながら歩いた。彼は、アタシの肩を抱くわけでもなかった。手をつなぐわけでもなかった。アタシも特にそうしたことを求めはしなかった。肩を抱かれてホテルに入るなんて、いやだった。

水着を購入して、タクシーでホテルまで向かった。ホテルの前で降りるのはちょっと恥ずかしいなと思っていたけれど、口には出さないでいた。ホテルの近辺で彼がタクシーを停めてくれた。降りた道の突き当たりにあるホテルへ、二人で入った。

自動ドアを入ったところに各部屋の写真がパネルになって出ていて、その下に、回転ベッドとか、総鏡張りとか、オンデマンドサービス付きなんていう口上と値段が書いてあった。小さなランプが消えていると、その部屋は使用中だった。ランプのつき具合から判断すると、部屋はかなりの数が空いていた。休憩8800円、宿泊11000円と書かれた部屋のボタンを彼は押した。部屋の写真はリゾートホテルのような内装で、オーシャンビュー機能付きで海を再現、みたいなことが写真の下には書かれていた。自動販売機みたいに、部屋のカギがコトンと、ボタンの下にある口から出てきた。フロントに誰かいるのかどうかも、アタシたちからはまったく分からなかった。

彼は、うしろから覆いかぶさるようにして、髪の上から左の耳たぶに熱い息を吹きかけてくる。そうして、左手でアタシの髪をかき上げたり、後ろへ流したりする。左耳に息がかかるのと、右耳に彼の手が軽く触れるのが一緒になると、背中にゾクッとした感じが走る。

ゆっくりと体を動かしながら、アタシの耳を愛撫し続ける。向かい合わせになると、おでこの髪の生え際に軽くキスをする。続いて耳たぶにキスをしながら、軽く噛んでくる。右手は、さっきからずうっと、髪の毛を愛撫し続けている。彼は、アタシの唇にはなかなか来ない。耳たぶを噛まれると、またゾクッときてしまう。

アタシのアゴを少し上向きにすると、首筋へと唇を移してくる。彼は首筋に愛撫を加えながら、右手をニットの中へと入れてくる。替わって、左手の指を広げて、アタシの髪の毛の中に入れては毛をすいている。

彼の指が、直に背中に触れてくる。中指と薬指二本を使って、グッと食い込むような感じで、背筋の継目を一つ一つ押してくる。そのたびに、腰のあたりにズキッとした感覚が走る。耐えきれずに、小さく声が洩れてしまう。腰のあたりから、順々に上の方の背骨へと、彼の押す場所が上がってくる。

彼は、ブラジャーに手をかける。しばらく触っていたが、フロント・ホックなことに気がついたらしく、両手を前にまわすと難なくホックをはずしてしまう。そうして、ニットを端の方からクルクルと丸めて、アタシの両手を上げさせると、ブラジャーと一緒に、アッという間に脱がしてしまう。アタシの上半身に何もなくなると、首筋から胸の谷間へと、舌を使いながら愛撫の往復を始める。両手でパンタロンのホックをはずして、ファスナーも引き下げる。パンタロンは、自然と下へずり落ちてしまう。

彼は中腰の姿勢になると、舌の先をころがすようにして、アタシの左の乳房の上に時計回りに大きな円を描き始める。左手の中指を使って、右の乳房にも同じように大きく縁を描き始める。二つの円は、次第に小さな半径をとり始める。次第に乳首へと近づいてくる。

右手は右手で、五本の指を少しつめ立てて、わきの下からずうっと、わき腹へと下ろしてくる。乳首の先にまで熱い血が流れ込んでいくのが、自分でもよくわかる。急速に呼吸が速くなり、そして息も荒くなってくる。こらえようと思っても、声が洩れてしまう。わき腹に指が下りてくると、くすぐったさも加わって、とても奇妙な気持ちになる。

だんだんと小さな円を描いてきた彼の舌の先が、ついにアタシの乳首へと来てしまう。敏感に反応して、乳首が固くなって立ってくるのが、よくわかる。彼は、その固くなった乳首を軽く歯で噛んでくる。思わず声が出てしまう。それまでダランと垂らしていた両手を、彼の頭の上に置く。無意識のうちに、指の間に彼の髪をはさんで、キュッと力を入れてしまう。

初めて彼は、唇にキスをする。

早くもアタシは潤んでいた。

ベッドに横たわってから、アタシは自分でショーツを脱いだ。彼は下の部分にも熱い息を吹きかけてきた。そして、中三本の指を巧みに使いながら、やさしく愛撫を加えてきた。アタシは完全に開き切って、彼の息以上に熱いものが止めどもなく流れ出していた。

彼の指は、最も敏感な、アタシの小さな丘を捜しあてると、そこを集中的に攻めてきた。キュッとつまんだかと思うと、上へとゆっくりやさしく、かき上げるような攻め方をした。カタカタと登りつめたジェット・コースターが、一気に降りていく時のような気分が、たまらなく何度も襲ってきた。

かなりアタシを登りつめさせてから、彼は、ゆっくりとアタシの中へ入ってきた。それは、若い男の子が新しい女の子を抱くのにしては、珍しいくらいに落ち着いたセックスだった。

自分がたかぶってくると、女の子のたかぶり具合におかまいなく先を急ぐ男の子が、今までの経験では多かった。それで、若い子とメイク・ラブするたびに、アタシはいつも軽い失望を覚えていた。

彼は、今までの男の子たちとは随分と違っていた。彼は、アタシの体の波を知っているかのように、上手に取り扱った。初めての男の子との間に、こんなにもたかぶりを覚えたのは、多分初めてのことだろうと思った。

彼がニットを脱ぎ始めた。アタシもニットに手を添えて見守った。彼がニットを脱ぎ終わると、アタシは突然笑ってしまった。それまでのアバンチュールなムードが台無しになったわけじゃない。顔を赤らめた彼が着ていたTシャツは、ディズニーランドのお土産のソレで、ドナルド・ダックがプリントされていた。「しまった。これを着ていたことを忘れていた」「ねえ、こんなの着てたの? こんなのを着ていて、アタシとセックスしようとしていたの?」「悪いかい?」「ううん。全然。可愛くて笑っちゃった」「ドナルド・ダックは偉大だよ。ミッキー・マウスの何倍もお洒落なアヒルだからね」アタシは、お洒落なアヒルのTシャツをやさしく脱がしてあげた。

敢えて、アタシは彼とのセックスについて、なるべく詳細に話しておこうと感じた。それはつまり、今の時代の濃厚接触について。アタシたちは、この状況にも関わらず、ほとんど毎日会っているし、たくさんのことを話すし、キスもセックスもするし、食事もするし、一緒に抱き合って寝ている。無責任な恋を全うしているのかもしれない。彼が言っていた通り、正しい恋なんてない。ないから、思い切り間違えられるのだけど。でも、アタシと彼にとっては、決して間違いなんかじゃない。そう思えていることって、端的に言って、素敵なことじゃない?

 

「ステキだけど、なんでオレが二人の惚気話をこんなに聞かされなきゃならないんだ」
レオくんが、バーカウンター越しで疲れ果てたように笑っている。
「だって、レオくんがキューピッドじゃん、アタシたちの。だから感謝してるんだよ」
「困ったなあ。久々に店を開けられたと思ったら、アンタらの幸せエピソードを延々と聞かされて……」
「そんなに迷惑しなくてもいいじゃない」
「いや、良かったと思ってるよ、マジでね。それにこんなイチャコラなノロケよりも、いくらか迷惑だったのは……」
コロナだったね、と、隣で愛する彼が言った。

アタシと彼は久しぶりに踊った。

外出禁止を促す自粛要請は次第に減少して、こうしてレオくんの店も通常営業することが出来ている。結局、国から全国民一律で現金給付や休業補償が設けられたけれど、それがまんべんなく行き届いているはずもなく、あまりにも対応が遅すぎたことは認められる。だって今は8月。アタシたちの口座に現金が振り込まれたのは6月25日、ほぼ7月だった。世間は未だに自粛ムードから抜けられていないし、マスクだって足りない。閉店してしまった近所の居酒屋の店主が、今どこにいるのかも知らない。そして、緊急事態宣言は廃止されたものの、新型コロナウイルスの猛威は、完全に消失してはいない。ワクチンの開発成功によって状況は緩やかに回復しつつあるけれど、アビガンの副作用などを過剰に煽るデマも増えてきた。ワクチンの数自体が全然足りていなくて、1年間待たなくてはならない人もいる。コロナウイルスは消えない。また春と共にやって来るのかもしれない。思えば、インフルエンザが初めて流行し始めたとき、まさか毎年このウイルスと付き合い続けることになるとは、誰も思わなかっただろう。アタシたちは、ウイルスが死滅した時代ではなく、ウイルスと共存していく時代を生きている。

そんなことと同じように、アタシは、彼と共に生きていくことを決めた。

この恋は、まるでインフルエンザのように。そして、コロナウイルスのように。と、下手なレトリックだなと自分でも自覚しながら、アタシたちは音楽と一体となっていた。

クラブからの帰り道、外はもう明るくなっていた。彼はアタシの手を強く握りしめながら「ケーキでも買って帰ろうか」とつぶやいた。アタシは「え? どうして?」と聞き返した。「特に理由はないよ。ただ、キミとケーキでも食べてみたいなと思っただけ」と彼はアタシに微笑んでくれた。「アタシ、話したっけ、ケーキのこと」「ケーキのこと?」「いや……ううん、なんでもないの。なんでもないから、嬉しいの」

アタシたちは、どんな時間でも開店しているケーキ屋でありコーヒーショップでもある、現代社会の英知・コンビニエンスストアでケーキとホットコーヒーと、赤マルを買った。

信号を待ちながら泣いていた、涙でマスカラが流れ落ちているセミロングの女の子に伝えてあげたい。

ケーキのご褒美は、呆気なくやって来るってことを。

 

※このお話は、人生のように一部がフィクションです。